山麓日記帳

全ては消えゆく、雨の中の涙のように

いよいよ

うーん、昨日の日記は怒ってはいたけど、東京の人に向かって「ザマミロ」とは思ってないつもりだったんだけどなーあ。
まあ、色々と誤解はあるやね。
本当にこの日記を長年にわたって愛読していただいているお方なら、ワシが「東京人ザマアwww」とか書いてない事は分かってもらえるはず。
誤解は残念だけど、まあ、それは本人の受け取り次第だから、ワシが何を言っても書いても受け取ってはもらえないよね。

そんな中、Qujila(ワシが大昔、熱狂的に追いかけてたロックバンド)の杉林さん(Vo.Gt.ソングライター)が、ツイッターにて(ご家族を名古屋に見送られた後に)
「避難勧告の範囲が広がるのかな。とにかく今は自分をスカスカにして、電気も物資もみんな東北に行ってもらおう。」
とつぶやかれているのを見て、ちょっと胸が苦しくなった。
「停電になったら尺八を吹いて近所の子どもを怖がらせようか」とお茶目な部分も相変わらずなお人である。

さて、福島の方はまさに決死隊。
連日、機動隊や自衛隊による捨て身の作戦が続いております。
コレを見ていると本当に胸が痛いです。
みんな、家族も故郷もある人だろうに。
日本のため、世界のために身を捨てて自己犠牲を、ほぼ宗教的なまでの崇高な精神で挑んでおられる。

口先で綺麗事を言って、目の前の現実を見ようとしない人たち(被災地でもなんでもないくせに恐ろしがりすぎ)はこの現実をどう見ているんだろう。
(たとえば、「天からの電気の贈り物」とか平気で書けちゃうスイーツ脳の人とか)
事はもう震災だけではないのだ。
この「チェルノブイリ級まであと一歩」とまで言われる、人類未踏の規模の原発事故が現に起きてしまった。

目の前の危機をさも無いものかのようにあえて無視するような生き方をするのって、そんな事で身を守ったつもりなんだろうか?
楽観主義も結構だが、目の前の現実はちゃんと受け止めるだけの強さも持って無ければ、その楽観主義はただの「弱さ」の証明でしかない。
ツイッターを見ていると実に色んな感慨が湧いてくる。

いろんな人の強さも弱さもあぶり出されて人間性がむき出しになる。
こんな事でもなければ分からなかった事が色々と分かってくる。
でもそれもあえて全部受け止めたい。