山麓日記帳

全ては消えゆく、雨の中の涙のように

母の葬儀 その2

高速道路に乗ったものの、日曜日のお昼すぎ。

一応、スムーズに車は流れてますが、ICを降りたら、ものすごい渋滞でした_(:3」∠)_

弟からは「ねーちゃん、いまどこにおる?」と聞かれますが、「渋滞に巻き込まれてます」としか返事できません。

おそらく、母の臨終に立ち会えそうにないことを弟は心配しているんでしょうけど(優しい子)

ワシは臨終に間に合う気は毛頭ないです(冷血だから)

 

臨終に立ち会えるのはお金と時間に余裕がある人ができれば良いことであって。

ワシみたいにビンボーな人間は、親が死にかけてても働くです。それだけのことです。

意識が混濁している母親にワシが出来ることは何もありません。

姑の時も臨終に間に合わなかったし(これは純粋にちょっと離席した隙間に亡くなってしまっただけの理由)

だからこそ、臨終に立ち会う事にそこまでこだわりがないんですな(だから自分のときだって、みんなが自分の人生で忙しくて立ち会えないのだったらそれでいいという考え)

 

そもそも知っている人は知ってますが、ワシと実母の関係は極悪でして。

とにかく、母は自分の人生のためなら周りの人全員「肥やしにしても構わない」という女性で。自分以外の人からはひたすら搾取する、他人は一切、信用しない(それは自分の夫でも)、自分の意に沿わないものには容赦なく懲罰を食わせる_そんな人なんですな。

 

なのでワシは早いうちに「このままこの人と暮らしてたら、ワシは食い殺されてしまう 自分の人生を生きられない」と悟りまして若くして家を出て、自立する人生を無理矢理に歩き始めたわけです(そのためにやらなくていい苦労も散々やってきたけど でもそのおかげで早くおとなになったし、しかも情ある人の振る舞いというものも世間から学ばせてもらった)

 

渋滞を抜けて病院に到着すると、母はもう霊安室に安置されておりました。

父と弟の話によると、母は金曜日の夕飯は普通に食べて、看護師さんたちとも普通に会話してたそうです。

土曜のお昼すぎから容態がおかしくなって、夜には意識が混濁してたわけです。本当に超特急で事態は進行したんですね。

 

死因は骨粗鬆症からくる「敗血症」だったそうです。

数時間ごとにみるみるうちに肺がどんどん白く濁り、呼吸困難で亡くなったそうです。

 

その死に顔を見て、ワシは驚いてしまいました。

常に眼光鋭く、他人は一切信用しない、世界で一番自分が正しくて偉大であると虚勢を張り続けた女の死に顔は、とても清らかで美しく、穏やかに静かに微笑みすら浮かべていたのです。

「なるほど、死によって救済されるということもあるんだ」と知った瞬間でありました。

涙も出ない。

ただ、「煩悩から開放されて、死ぬことで自分の罪を贖ったのかもしれない」と思っただけでした(ここに母の罪状を書き連ねたら、世界中がドン引きしてしまうので、書きませんw)