山麓日記帳

全ては消えゆく、雨の中の涙のように

1978年と1979年の思い出

昨夜、ステルスのツイートにて語られた内容が面白かったので、個人的に思い出した話を書いておきます。

 

1978年のある日、ワシはそれまでの宗旨をスッパリと脱ぎ捨てて。

腰まであった髪の毛を自分でザリザリに短くカットして、「ワシはパンクとして生きます」と宣言したわけですね。

当時、18歳。

それほどまでにパンク&ニューウェーブの衝撃は田舎に住んでいる女子高生にも影響を与えたわけですよ。

それまでのロックと言えば、長髪&ベルボトム、信じられないくらいに一曲の長さが長くて、大げさなバカテク大披露大会、超絶技巧の発表会。

同じテーマを繰り返し繰り返し演奏することで、第1楽章第2楽章、その発展からくる最後のドカン的なカタストロフィがやって来て、( ゚д゚)ハッ!

みたいな世界から。

「もっと生活に足をつけた、今を生きる音楽が欲しい!!」という強烈な渇望を感じたからこその変化だったわけですね。

 

その頃好きだったバンドの一つがストラングラーズでした↓

そのストラングラーズが来日する!「こりゃあ見に行かねばなるまい」ってんでチケット買って行きましたよ。

1979年。ワシは19歳。美術系の大学に通っておりました。

この時の来日公演は4枚目のアルバム「レイヴン(大鴉)」リリースに合わせたストラングラーズ初のワールドツアーの一環です。

彼らのアルバム「ノーモアヒーローズ」と「ブラック&ホワイト」が大愛聴盤だったワシはこの初来日公演を大いに楽しみ、かつ衝撃を受けたわけですね。

実はコレが初めての本格的なロックのライブ体験でした(その前年にロンドンオリジナルキャストによる「ロッキー・ホラー・ショー」は見てましたが)

コレが後々のワシの人生に大きな影響を与えるわけですから、大したもんですよ。

一緒に出かけた友達と4人で出待ちして(゚∀゚)フロントマンのヒュー・コーンウェルに直接サインを書いてもらったのは良い思い出です(実は出待ちでサインをねだるとか、この時しかやってないw)

 

そして昨夜のステルスのツイートにより、そのワシがサインを貰った(゚∀゚)年の前年に起きた珍事を初めて知りました。

1978年、フロントマンのヒュー・コーンウェルが麻薬で逮捕され、ライブに穴が開くってんで、ミュージシャン仲間が助っ人として参加し、つつがなくライブを成功させたって事があったんですね↓

ヒュー・コーンウェルはギター&ボーカル。

その開いた穴を埋めるために召喚されたのがギター=ロバート・フリップ、ボーカル=ピーター・ハミルでした。

びっくりするけど、史実なんですよね。

つまり、ロンドンに集結してきらびやかに世界中を席巻しているロックミュージシャンたちというものが実はとても狭い業界で、ジャンルの壁(なんて本当にあったかどうかも怪しい)を超えて結構交友があるというか。助け合う精神があるってのが、「面白いな」と思う所以です。

 

ロバフリもピーター・ハミルも違う芸風でこのライブ↑頑張ってます(微笑ましい)

ピーター・ハミルは「Fool's Mate」というワードを発明したヴァン・ダー・グラフ・ジェネレーターというバンドのフロントマンですね。

この人のソロがワシは結構好きで、アルバム持ってました↓

今聞くと、ブリティッシュ・トラッドというか、フォークで、普通にいい曲ざんすよ。