山麓日記帳

全ては消えゆく、雨の中の涙のように

追悼文に泣く

昨日は漫画家・三浦建太郎先生が急逝なされたニュースがツイッターにて駆け巡り。

「そうか、ベルセルクは未完に終わったのか」

と思っておりました。

 

三浦建太郎先生といえば筋金入りの馬骨(平沢進ファン)でありまして。

最初に「ベルセルク」がアニメ化されると決まった時には、平沢進に「舵を取れみたいな感じでお願いします」と主題歌の作曲を依頼し。

以来、長年に渡りベルセルクシリーズは、アニメ、映画、ゲームと平沢進とコラボを続け、同時にとてもいい関係を築いてきたんですよね。

 

ベルセルクから平沢進を知った海外ファンも多くて、三浦先生は平沢進の忠実なファンとして作品執筆中は必ず平沢作品を流しておられたそうです。

ライブでも立派なフラワースタンドを贈り続けられてたし、ライブ会場では先生を見かけた方も多かったと聞きます。

 

その長年に渡り「ファンとその推し」というものを超えた作品の共同制作者とも言えるような関係だった二人ですから。

「これは…追悼のコメントが出るんだろうな」と思ってたら。

やはり、昨日の午後、公式サイトにて発表されました↓

susumuhirasawa.com

 

…まあ、ステルス(平沢進)自身が会社としての追悼文も、個人としての追悼文も両方一人で書いてるんですけどね…(多分)

なんと言うか。

ワシはこの文章に心を打たれてしまって。

昨日の午後は一人で家で大泣きしてしまいました。

泣きすぎて喉が痛くなるほど泣きました。

 

三浦先生が「隣接次元」(と「あの世」の事をステルスはこう呼ぶ)に行こうとも、自分が生きている限りは自分の中で三浦先生は生き続けているのだと、これからは何の制約もなしに思う様自由にたくさん二人で語り合えるのだと、言っている追悼文なのですが…

 

もちろん、そう言いつつも言葉の影に寂しさをにじませており。

更に先生の肉体がなくなってしまったことを改めて噛み締めながら、平坦な優しい文章の中に喪失感の陰りが見える気がして。

悲しみは出さないように自分を律して押し殺しているのに、ステルスの人に対する愛情の深さがつい出てしまっているし。

なによりも、悲しまない、泣かないという強い意志が垣間見える気がして。

 

「ステルスが決然と、年若い友人のために泣かないと決めているのなら、代わりにワシが泣くしかないじゃないか」とさめざめと泣いてしまったわけですね。

泣かないステルスのためにワシが涙を流しましょう。

そしていつもの21時からのツイートタイムですら、三浦先生がいつも楽しみに読みに来られてたという事実を踏まえていつもの調子で、自分のズッコケドジっ子ぶりを開陳するツイートであり…

またしてもワシは泣かされるのでした。