山麓日記帳

全ては消えゆく、雨の中の涙のように

平沢進偉人伝のその後

その後、昨日のツイートにて平沢進ご本人が例の動画を見たらしく、不快感をあらわにされてたので、制作側が慌てて訂正を出すって事があった模様ですね(;^ω^)ま、それも文字通りのエクスキューズの姿勢をとってみせただけってものだったようですが…

 

ま、事実と違うことを描けばクレームが来るのは当然で。

一番いいのは、こんな動画を見ないことなのかもしれません。

 

まあ、今回は珍しかったし、ネタとして珍しく、「どーなのよこれ」って事で見てみたんですけどね。

以前、なんかのインタビューでご本人が「『よしバンドやろうぜ!』みたいな言い方でバンドを始めことは一度もない」

とおしゃってましたので、たしかにあの表現はまずいですわなあ…

 

間違っていることは即座に「違う」と言って、正しい情報を伝搬する。普通はファンがやるようなことをご本人が直々におでましになって訂正なさるもんだから、見てて面白かったですね(不謹慎)

たったこれだけのことなのに、なかなかデキる人って他にいませんわよね…

 

詳しい顛末の訂正に加えて、ステルスが自分の師匠と出会った時の話も秀逸で。

牛乳屋の息子であるその「師匠」が江戸時代みたいな仕草で階下のお母様に向かって手をたたきながらいちご牛乳の事を「ストロベリー!」と呼ばわりながら所望する様子が…異様と言うかユニークと言うかw

「ステルスは牛乳飲めないはずなのに…」と見てて思いましたが、抵抗せず、黙って飲んだそうなので、どれほどこの「師匠」を尊敬してたかが伺えます。

 

結局この師匠の薫陶のおかげで「いわゆる流行歌」的なものにアレルギーまで生じるようになった結果、音楽の趣味がバンドメンバーと合わなくなり、音楽をやめてモトクロス競技にのめり込んで。その結果、事故でモトクロスもやめてしまったところにこの師匠から使いに出されてきた人により師匠のもとに一緒に連れて行かれて、「この使者とバンドを組みなさい」と師匠から命令されて音楽業界に戻ってくるんだから…

なんというか、本人の意志よりも、抗えない運命によって首根っこを掴まれて連行されている

という印象を持たざるを得ないお話でございます…

 

しかもその後、その師匠に遣わされてきた使者と命令されるがままにバンドを組み、そのバンドはマンドレイクP-MODELとなり、数年後にはデビューしてレコードも出た(それも40年前の話)のに、ステルスは師匠に叱られるのが怖くて音盤を渡すことも出来ず、直接会うこともしてないそうなので、それは知って、ワシは衝撃を受けました。

 

自分をプロの音楽家の道へと導いてくれた人、愛し、敬い、畏れる対象としての師匠の存在。

「怖い人がいた方が人生には良いってことはあるよね」と思いつつワシは寝たのですが。

その後のステルスのツイートにより、「私の歴史を侮ると、明日の11時にあの日に無理して飲んだいちご牛乳がオマエたちの鼻から出てくるぞ」と呪いをかけてたことを知り、思わず苦笑…