山麓日記帳

全ては消えゆく、雨の中の涙のように

「さらざんまい」第6話を見る

そういえば、「少年メリケンサック」本当につまんない映画でw長い割には盛り上がりもなく(個人的には遠藤ミチロウが出てきた時は「わっ!!」と声が出て盛り上がったけど)
唐突に大した展開もないままに話が終わるし、「この映画はなんのために作ったんだろう?」と首を傾げたほどだったのですが、唯一!
田口トモロヲモッシュしている観客にステージ上からダイブする姿は「お見事!!」でしたね。さすが昔取った杵柄w
キレイにダイブするんですよ。あんなにキレイなダイブを見たのは、1990年代なかば、少年ナイフのライブで、佐世保から見に来てたネイビーの少年たちが見事に決めてた華麗な半ひねり技込みのダイブいらいでした(^_^;)

ま、それは置いといて。
問題は「さらざんまい」ですよ!
これは一種のタイムリープめいた物語という一面も持つのですが(「欲望」を搾取された「カパゾンビ」は、少年カッパ三人組に尻子玉を抜かれて成仏させられてしまうと、その人物の現世での存在が根っから抹消されてしまって誰の記憶にも残らない&歴史が書き換えられてしまう事になっている ※カッパ少年三人組とカッパの王子ケッピの記憶には残っているが)
まさに、凡百の「タイムリープもの」(「君の名は」「時をかける少女」とか色々)に対してワシが思っていたこと。

「それは本当に愛なのか?本当は、ただの利己的な欲望なのではないか??」

という問いかけが、この「さらざんまい」では繰り返し物語中で問いかけられています。
うーん、さすがは幾原監督ぅ!!
その罪を犯したものの行為そのものが、「真実の愛」ゆえにだった場合、カワウソ帝国からは「必要のないエネルギー」として搬入システムからはねられてしまうんですね。
そこで「真実の愛」はどうなってしまうのかと言うと、別レーンに乗せられて巨大な歯車にすり潰されてキラキラと輝くダイヤモンドの粒のようになってしまうのです。
このシーンはまさに、「輪るピングドラム」を思い出させます。

「愛する者のためならば自己犠牲もいとわない」
これが「さらざんまい」の重要なテーマです。
いよいよこの物語からは目が離せなくなってきましたよ。

ワシはノベライズの上巻は読んだのですが。
いよいよ来週からはノベライズ上巻から先の話になるので、まだ未知の世界ですよ!!
恐ろしいような楽しみなような(;^ω^)
カッパ王国VSカワウソ帝国の戦いの歴史も紐解かれて、マブの機械仕掛けの心臓の秘密も明かされそうですね。
関東大震災で壊れた凌雲閣(浅草十二階)と現スカイツリーの関係とは??
もう正座して全裸待機するしかないじゃないですか。