山麓日記帳

全ては消えゆく、雨の中の涙のように

遠藤ミチロウさんの死から宮西計三先生のことまで

今月に入ってから、実は先月下旬(4月25日)に68歳で、パンクロッカーの遠藤ミチロウさんが膵臓がんのため亡くなってた事がオフィシャルによって発表されまして。
なんかシミジミとしちゃいましたね。
ワシは彼がパンクロッカーとして有名になる前(つまり、ミチロウ氏がアングラなエロ雑誌に関わってた時代)から一方的に存じ上げていたので。
その後パンクバンド「スターリン」を始められて、そのスキャンダラスなステージングによりあっという間に有名になって、そのバンドのスターリン解散後もソロとして精力的に日本全国をライブで回っていらしたので、「偉いなあ、頑張っているなあ」と遠くから見ていたのです。
つまりワシは、遠藤ミチロウさんのキャリア全過程を見届けたことになるのかもしれません…

1981年頃?ワシもスターリンのライブを見に行きましたよ。
当時のロックのライブってヤバイ奴が多くて(^_^;)
喧嘩や殴り合いは通常モード、唾は飛びあうしなんかもうグチャグチャのベチョベチョになるライブが「普通」だった時代ですよ。

豚の生首や臓物こそ出てはきませんでしたが、ウン○とか、ミチロウ氏が装着してたコンドームを投げつけられる(ワシの胸にヒットした)という事がありましてw
スターリン、恐ろしい…」と思ったことをよく覚えてます。

そんな中、ミチロウ氏の奥様のツイートが痛々しくて。
「うーむ、お気の毒なことだ」と思ってたらですね…

某漫画家さんのツイートがヒットしまして。
そこに何故か、ワシが好きな漫画家でギタリストの宮西計三に関するツイートをなさってて。
その内容は…「遠藤ミチロウは漫画家の宮西計三と仲が良かった。自分もその交流を通じて何度か会ったことがある。彼もまた令和を迎えられなかった」みたいな事が書かれててですね。

「彼もまた」って事は宮西計三も亡くなったの!?とびっくりしてしまってΣr(‘Д‘n)
あわててググったのですが。
ネットで追えたのは今年の4月1日に画廊で行われた展示会最終日に、奥様で舞踏家の方と一緒に笑顔で写真に収まっている様子でしてw
「いやー、相変わらず痩せてはいるけど、今にも死にそうには見えない気がする…」と困惑するワシ。

と、言うことは。
「彼もまた令和を迎えられなかった」というのは多分、遠藤ミチロウ氏の事を指しているんでしょうね。

とか言ってたら。
2000年頃、宮西計三をカルト漫画家としてこのまま埋もれさすのはもったいないって事で。
一部好事家により、宮西先生のメジャーデビューを画策したことがあったみたいで。
ところが出来上がってきた作品は、中身が「問題作」以外の何物でもなくてw
お蔵入りになってしまい、その後2018年にギャラリーが一冊にまとめて出版することになった「エレベーションSa・Yo・Na・Ra」という作品があるらしいなんですけどね。

なんとコレがウェブ漫画屋さんのコミック・シーモアで無料立ち読みもできるので、興味本位で数ページ読んでみたんですけど…↓
エレベーションSa・Yo・Na・Ra


※本作は謎の作家、伝説のカルト・マンガ家と言われていた宮西計三のメジャー進出を企画して2000年に描かれた作品です。
しかしその目論見は見事失敗に終わり、作品はお蔵入りとなりました。2005年にマイナー出版社より雑誌収録されるも、ファンの目にはほとんど届かなかった幻の逸品です。宮西の従来の特徴である耽美エロティシズムを排し、キャラクターも日本人、舞台も日本としたそれまでの作風にはみられないものです。
内容はサイキック・ホラーとなっておりコマの構成、美しいまでの線の描写は70年代80年代マンガ、劇画のテクニックの最高峰と言えるでしょう。
お話は説明を極力はぶき、ショッキングな断片を連ねることにより読者自身の中にストーリーを発見させようという正にサイケデリック・コミックと呼べる実験的なものです。


内容的には「地上最強の男リュウ」の世界観に近いと言いましょうか…
宮西先生、この頃、老親介護とか生活苦が極まっててものすごく苦労なさってたらしいんですよね。
その中で生まれた作品て事で…
いろいろ許してあげてください…m(_ _)m