山麓日記帳

全ては消えゆく、雨の中の涙のように

まだ「フリクリ オルタナ」のことを書く

とまあ、かようにサントラのピロウズ再録盤は本当に素晴らしいのに、映画本編が「はにゃにゃにゃにゃ」な出来栄えで、残念な気分にはなりますが…
まあ、テレビでダラダラと深夜に見たり、ビデオスルーでぼんやりと薄目で見る分にはオーケーな出来だと思います。
色々とビジネス上の理由であんな出来栄えになって「名作」になりそこねたのも、これはもう、致し方ないことで。今更なんか言ったところで薄ら寒じゃないですか。

ていうか。ワシ的には。
もう、おっさんが女子高生に憑依する作品とか懲り懲りなんですけどおお!!!!
圧倒的にワシが言いたいのは。
「自分が知らないことを表現するのは無理」ってことですよ。
多分、この監督も引きこもりでダメダメだった少年時代の僕を主人公にすれば納得できる作品ができたはずなんですよ。
「その少年時代の僕が夢見た女子高生のリア充ライフ」みたいなのを描いてくれれば今回のこの作品、まだ理解が得られた気がするんですよねえ…

架空の女子高生の架空の生活とか。作家にせよ監督にせよ、よほどの力量がないと描けない世界なのに。
そこに「僕が夢見た」というフィルターを通せばまだ…
でもこのとんでもなく薄っぺらい奥行きのない閉塞した世界観は、すでに巨大アイロンが世界をのしまくった後の人類の記憶の残滓…みたいに思えば、それは実にフリクリ的なのかもねえ…

でもま、この作品が作られたことで、ピロウズは素晴らしい新曲を2曲も作った。
7年ぶりにアメリカでツアーもやれて、アメリカのファンが大喜びしてくれた。
おまけとして人生初のビジネスクラスにも搭乗できたし、ラグジュアリーなホテルにも滞在できた。
その部分では、本当に18年ぶりに続編を作ってくれてありがとう!と思いますよ。

…とまあ、ここまで書いて気がついたんですけど。
つまり、声優さん以外で、「フリクリ」という作品に思い入れと愛情を持ってクリエイターとして参加してたのはピロウズだけだったのかもしれませんね。

だからこそ、異様に光り輝く名曲が2曲も生まれた。
ただ、困ったことは映画の制作側が音楽には(もしかしたら「フリクリ」そのものにすらも)それほどの思い入れもなく。
なんとなーーくソレらしいギターの音で絵のじゃまにならない音楽の方をどうも欲してたっぽいところですね。
ところが「フリクリピロウズ」という公式がある以上、ビジネス的にもピロウズを使わざるを得なかった。

でもこの映画。
ラストに「Star Overhead」が流れなければ、本当に悲惨な映画になってたと思うんですよねえ…
最後のあの曲が流れることで、2時間以上の映画のもやもやを美しく昇華してくれるんですから。
大したものですよ。