山麓日記帳

全ては消えゆく、雨の中の涙のように

ポリコレ的に正しいって結構窮屈な事なんじゃないか

YouTubeに、外国の人達が「ゴールデンカムイ」のアニメを見てどんなリアクションをしているのか?というのをまとめた動画があってそれが結構好きなんです。
多分、フランス人、インド人、アメリカ人、南米の人?(全員男性)が分割された画面に登場してアニメを見て「嘘だろー!」とか「痛い痛い!」と叫んだり、「なんて残酷なんだ」と眉をひそめたり、手を叩いて大笑いしたりする様子が見られます。

面白いのはほぼ日本人と反応が一緒ってところですね。
同じシーンで「ギャー」と叫んでみたりゲラゲラ笑っているんですね。
それは各キャラクターに対する印象が同じってところにも波及してまして。
アシリパは女神だ」「知恵のかたまりだ」とか「おぉう、白石、スイートなマイボーイ」とか言ったりしているんですね。

そしてこの「ゴールデンカムイ」の世界観で最初にワシが戸惑ったように、海外の皆さんも残酷なシーンとギャグパートの落差にやっぱり困惑しているんですね。

「ふむ、人間の反応はどこも同じなんだなあ」と感心してしまいます(それはインターネットの時代になって以来、何度も経験したことですが)

そんな中で気になった事が一つ。
Netflixのドラマを見てて気になるのが、「ポリコレ的に正しい事が最優先されている」気配が濃厚なことですよ。
なんか「各方面から文句が出ないように、慎重に予防線を張りつつ物語を作っている」ような気がするんです。
だから必然、ドラマの本筋は「偏見と戦う」みたいなものになりがちで、そのせいで?なんだか物語がせせこましくなっている気がするのです(妄想)

「ベイツ・モーテル」っていう、映画「サイコ」の主人公ノーマン・ベイツを主人公にした「連続殺人鬼の青春物語」を今、見ているんですけどね。
なんだか、連続殺人鬼にも心寄せているようなドラマづくりで非常に微妙な気持ちになりつつ見ておりますw

Bates Motel Season 1 Trailer