山麓日記帳

全ては消えゆく、雨の中の涙のように

「オーディション」

という訳で。
久しぶりに見てみました。映画「オーディション」(1999年 三池崇史監督 石橋凌主演)
十数年ぶりに見ましたわ(多分15年ぶりくらい)

最初に見たときは、「イカニモ村上龍的な残酷描写をうまいこと映画にしたなあ」と感心したんですよね(村上龍原作)
そして初見当時の印象としては、「殺人を楽しそうにやる変態の物語」というものだった記憶なんですが。
…こうやって年を取って改めて見直してみると、なんとまあ、変態なりの純愛の物語だったことか(自分の感想にびっくり)

袋男のヒロインへの恋慕、義父の狂った愛情、独りよがりでいてしかも自分勝手な主人公の「優しさ」
それらにがんじがらめになって、支配されることを拒否するヒロインの狂気。とでも言うのかしら。
なんか、ある意味。コレはフェミ映画と言えるのかもなあ…(・_・;)とまで思いましたw
痛みによってしか自分の生を自覚できない哀れな女が、自分を求める男たちに授ける福音の数々。

ある意味、聖女の物語でもあるんですねコレ。
ただその聖女は男を裁き、断罪し、彼らを死によって救おうとするわけなのですが(苦笑)
「男の欲望はここまでも業が深いのか」と改めて思いましたね(初見時も「なんやこのおっさん、舐めとんのか、女だって人間やぞ」と思ったことを思い出しました)

自分が若い頃、すごーく居心地が悪かった感覚を思い出しました。
女性ってさ、結局は「男に選ばれる存在」という気がしてたんですよ(今も若い人を見ているとその部分を感じることがある)
若くて綺麗なお嬢さんだったら、条件のいい男性(高収入、安定した仕事、感じの良いルックス、人格も申し分なく、なんなら家事や子育てだって積極的に手伝ってくれる奇跡の存在)から求められて、結婚相手として選ばれる。それが「女の幸せ」みたいな社会通念があるじゃないですか(21世紀の今になっても、アラサーアラフォー女性が上記のような「条件のいい男性」を結婚相手に選ぼうとしても、それは問屋がおろさない事実がある←そんな男性は大抵の場合、もう結婚しているのだから)

その「女に生まれたがゆえに感じなければならない居心地の悪さ」をとても上手い事、映画化した作品だったんですね。
「女性が積極的に主体を持つとこうなるのだ(結局男は復讐される)」という仮説を極端な事例で示しながら、三池監督は観客に差し出して見せてくれます。
とても面白く見ましたよ。

そういえば。あの袋男は大杉漣さんなんですねw
人差し指、中指、小指と舌を切り落とされながら、それでもアサミに愛を乞う「可愛いペット」に成り果てた元エース・レコードの敏腕ディレクター「シバタさん」
バブみ」のディープな世界がここにあります。


※ワシ認定究極のバブみ映画堂々暫定第一位であります!!