山麓日記帳

全ては消えゆく、雨の中の涙のように

シン・ゴジラで傷を癒やす人たち

あ。そうだ。色々と忘れないうちに書き留めておきたい事があったんでした。
ノパソはまだまだ色々と模索中で。完全復活とは行ってないのですが、まあ、軽くなった分だけマシなのかな。
iTunesは相変わらず不具合で、原因もわからず右往左往しておりますが…まあ、コレは不具合が治らないなら治らないで仕方ない。
治ってくれればありがたいですが、なんせ8年もののノパソ(しかもvista)多くは望みません(^_^;)

で。書きたかったことは、「シン・ゴジラ」の発声可能上映会の事なんですが。
イッパイ声を出して大騒ぎしながらみんなで映画を見てて、フト、気がついたんですが。

「なんかこれ、ワシら何かから立ち直ろうとしてないか?」

て事だったんですよ。
なんと言うか。
あの映画って基本、「日本人に一番ガツンとくる物語」じゃないですか。
日本人は誰も「もうこの日本に核兵器を落とさせたりはしない」と強く願っているんですよね。
だからゴジラ駆逐のためにアメリカが核兵器の使用を申し入れてきて、世界各国も核兵器を使った後の日本の復興支援を確約してくれている。

でも、それなのに日本人は核兵器を使いたくないと願い、わずかながらも対ゴジラに効果がありそうな、しかし、傍目から見たら全くのいちかばちかとしか思えない「ヤシオリ作戦」に賭けるんですよね。

そしてソレまでに描かれる被災の様子は311の記憶をえぐるようなもので。
その恐ろしい光景を目で見ながら、同時にそれぞれの脳裏で311の時の恐怖映像をリプレイしているんですよね(多分)
そしてその瞬間に声を出すことで。
あの時の自身の傷も癒やしているのではないか?そんな気がしました。

逃げ遅れた人に「逃げてー!!」「早く逃げろー!」と叫ぶ。
あの日、あの時に、届かなかった言葉をみんながこの上映会で投げかけることにより、あの時に嫌というほど味わったあの無力感をなんとか乗り越えようとしているのではないか?
そう感じました。

叫ぶ度に救われ癒される。そんな印象を持ちました。
この映画を最初に見た時に、なんとも言えない爽快感と、「よし、頑張ろう」という前向きな気持になったその印象を、更に強めるものになりましたね。

うん、参加してみて良かったです。なんせ博多駅Tジョイは「伝説の夜」でしたしねφ(゚∀゚ )アヒャ