山麓日記帳

全ては消えゆく、雨の中の涙のように

パロディで戦え日本人

ツイッターではイスラム国による日本人人質事件以降、イスラム国に本気でけんかを売っているような「クソコラグランプリ」が開催されてまして…
これがめちゃくちゃ面白い(不謹慎)んですね。

もともとはフランスの新聞社銃撃事件から感じていた違和感を、この事件を契機に日本人が余すこと無く表現している最中_というようにも見えます。

今までは「表現の自由」を盾に「有象無象をパロディして、徹底して笑いのめしてやるぜ!」みたいな事を標榜していたフランス人が。
いざ、それがきっかけで自国の人間が殺されたら真顔になって軍艦の上で大統領自らが「ラ・マルセイエーズ」を歌って戦闘機が出撃して、本当にイスラム国関係者がどうか分からない人物をとりあえず射殺とか(ざっくりしすぎなまとめですか?)
自分たちの紙面に載ってたイラストを、そのまんまキリスト教徒に置き換えたパロディのイラストを発表した少年を逮捕とか。

「自分たちのパロディは正義のパロディ」ってか!?Σ(゚д゚|||)
とその中華思想っぷりに辟易してたところにコレですよ。

ということは。
この一連の事件の真髄?は、実は「表現の自由」にあるのではなく、もっと違う場所にあるのではないか?と思い至った次第です。

で、モヤモヤと考えていたのですが、このツイッターにおける「クソコラグランプリ」を見ていたら、なんか ( °o°)ハッ と理解できた気がしました。

日本という国は、よく「無宗教」みたいな言い方をされますが。それは「違う」と感じます。
日本には「八百万の神々」がちゃんとおわしててですね。
海外から新しい神様が入ってきたら、ちゃんとその神様も受け入れて一緒に祀っちゃう。
そんな寛容さ_というかおおらかないい加減さ?があるんですよね。

それは年末から新年明けての日本の行事を見てもらえばわかること_とツイートなさっている方がいらして。
「そうよね!」と膝を叩くワシ。

クリスマスが近づけば、ウキウキとツリーやリースを飾り付けて。
信者でもないのに、イエス・キリストさまの生誕をお祝いします。
この愛情を広く誰かに伝えたいとプレゼントを買って交換したり、家族でごちそうやケーキを食べて、感謝するんですよねw

そして年末が近づけば。
新しい歳神様をお迎えする準備に追われて。
その信仰の祈りての頂点に立たれる天皇陛下に至っては、夜通しの祭祀に身を捧げられ。
夜が明ければそのまま一般国民がお祝いに訪れる参賀に出席なさって、国民と一緒に新年を祝われる…

ちょっとコレ、冷静になって考えたらすごいことですよねw

そのせいなのか?この「クソコラグランプリ」では、某シャルリ紙での芸風とパロディとベクトルが全然違うんですよ。
某シャルリ紙ではイスラム教そのものを愚弄する系のパロディで見てて心が荒む(あまりにひどいものは、ワシですら耐えられなくて思わずブラウザを閉じたほど)んですね。

ところがこの「クソコラグランプリ」は、徹底して「イスラム国そのもの」を叩いて煽っているんですね。
ソコが多分、爽快さの理由ですよ。
イスラム国なんて「国」なんて名乗っているけど、実際はアルカイダからも破門されたような「ド外道集団」ですよ?
単なる教信者ですよ?
サッカー観戦してたからと少年たちを処刑し、教育を受けたからと少女たちを処刑する。
そんなキチガ◯集団に対して何を気遣えと?

手を緩めるな。面白いからとことんやれ。
どうせ気を使って奴隷根性でテロリストの軍門に降ったところで、虫けらみたいに殺されるのは同じこと。
どうせまともに話し合える相手でないのなら、徹底的に笑いのめしてやりましょう。