山麓日記帳

全ては消えゆく、雨の中の涙のように

網走番外地

さー、高倉健さんが亡くなったことですし。「網走番外地」でも見てみますか。
(たまたまブルーレイのHDに残ってた)
と、軽い気持ちで見始めましたよ。
1965年の映画。白黒であります。

なんだろう…ワシが大人になって心が汚れているからでしょうか…
網走番外地とは言え、ちゃんとした刑務所なんで「シベリア抑留に比べれば天国じゃろうて」という印象が湧き上がってきます。
そして、その環境であーだこーだ言っているのがなんか「どーでもいいや」という気分になりはじめてしまい(映画鑑賞的にこれはかなりマズイ精神状態です<飽き始めた証拠)

刑務所独特の風呂の入り方を見ても、「風呂に入れるだけいいじゃん…」という目で見てしまいます。
牢名主みたいなイバリンボウがいる話も、「いいじゃん、江戸時代みたいにウン●食べさせられるわけじゃないし」
どうもワシは「極限状態」の表現にシビアなようです。

しかもこの主人公が刑務所入りするに至った理由も「なんだかなー」(´ω`)な印象で全く同情できなくてw
「そんなにカーチャンが好きならカーチャンを大事にしろよ」(´・ω・`)なお話でした。
極道の母恋ものって「瞼の母」から連綿と繋がる「日本人の好物」の一つなんでしょうけど。

んー。今ならピ●ーラのピザのCMかな?w

で。「何を心の頼りに見ればいいのかなー」とぼんやりと半分死んだ目で見てたのですがw
同じ牢屋に入っている男たちの中にアラカン嵐寛寿郎)がいるのに気が付きました。
コレが、チョーカッコイイ(・∀・)んですね。

「おお、アラカンが主人公なのかこの映画は?」思わず目を見張りました。
牢屋の中で一番口数の少ない老囚人を演じているのですが。これが実は伝説の犯罪者でして、実にカッコイイ。
ちょっとしか出てこないキャラクターなのに強い印象を残します。

お話の本筋の方は、もう、どうでも良くて。
後半はシドニー・ポワチエが出てた「手錠のままの脱獄」の丸パクリだし、必然性が感じられないまま親不孝を重ねる主人公に「こいつは馬鹿か」としか思えない(泣いているばかりの妹もノータリンにしか見えない)ので半笑いで見るしか無いのですが。
脱獄以降のシーンで「はっ」( ゚д゚)と目が覚めましたね。

高倉健が雪山を爆走するトロッコから飛び降りるシーンが目覚ましくてですねえ。ここで初めてワシは感心しました。
「そうか、高倉健てアクションスターだったんだ!」

ラストシーンで激しく膝かっくんされちゃって。なんとも変な読後感(?)のある映画でした。
昔の映画って面白いのも多いけど。今とモラル感が違いすぎて、なんとも微妙な気分になる映画もまた多いんですよね。そんな事を思い出しました。

☆=3