山麓日記帳

全ては消えゆく、雨の中の涙のように

初号機誕生のいきさつ 2

ま。そんな風にして。
望んで待ちかねた妊娠でしたので、妊娠したときは嬉しかったですねえ。
体調の悪さも無く、つわりもゼロで。体調は絶好調になり、自分でもびっくりしました。
それまでのワシは数カ月おきに発熱したり。なんとなく具合が悪くて寝込んだりしてたのですが。
妊娠してからはw
まるで別人になったように健康になってしまって、「妊娠するのが向いていたのか?」と不思議な気持ちになりました。

それまでは自転車でどこまでも行ってしまうような生活だったのですが。さすがに自転車はやめまして。
そのかわり、どこまでも歩いて行ってしまうようになりました。
一番歩いたのは当時の自宅から中洲まで?4〜5キロあったと思いますが。それを往復しちゃうw
歩くとまた更に体調が良くなるので、ひたすら歩き回っていましたね。

当時、一度目の手術を終えて病気療養中だった姑もものすごく喜んでくれて。
「早く赤ちゃんの顔が見たい」と言ってくれておりました。

当時は夫の仕事もたいそう忙しく、家のことなんかまるで何も出来ない状態でしたので。
ワシは専業主婦として。たまに夫の仕事を手伝ったりしながらそれなりに忙しくしておりました。
妊娠する前は一度目のがんの摘出手術を受けた姑の看病のために、週に3〜4日北九州までJRで通って身の回りの世話をするという生活を2ヶ月ほど送っていましたので、ソレを考えれば。
妊娠してもつわりもないし、ただ眠いだけで。
あとは絶好調。

「こんな事で姑に孝行出来るのだったらなんて簡単なことだろう」と思うほどでした(実際、看病で通ってた後、過労で発熱してしばらく寝込んでいたので)

ワシはソレまでは漠然と。
「このまま子供を持たずにすぎる人生なんだろうな。まあ、持たないなら持たないで、それで幸せに生きる道もあるはずだから、授からないものは仕方ないよね。どうしても欲しかったら養子という選択も…」
とか思っていたんですね。
子供を持たない夫婦なんて世間には沢山いるし。
子供に恵まれないからってそれが不幸ってわけでもない。
持たない幸福というものもあるよな気がして。

つまり、あまり積極的に「子供を持とう」とは思ってなかったんですね(^_^;)
姑の余命宣告を受けて、ソコで初めて「子供を持とう!」と決心したわけでして。

そんな思いつきと衝動で子供を持とうと思ったくせに、割と早いうちに妊娠はかなったし。
まあ、ラッキーだったんですね。
まだ若かったから瞬発力もあった。

そして妊娠して発見したのは。
「自分は孤独じゃないんだ」と実感したことでした。

ウチの夫という人は。
発達障害気味(とかいうと、綺麗な言い方ですが。有り体に言えば「発達障害そのもの」なんです。さすがにボカシたい)なところがある人でして。

どうしても肝心な所でワシの気持ちをわかってくれないんですね。人の気持ちを汲むことが出来ない。
理解できなくて最終的にはキレて大声を出して怒鳴ったり暴言を吐いたりする人なんですね。
当時はソレは「男の人だから仕方ないかも」と思っていたのですが(若かった!)

ワシの気持ちの最終的な持って行き場がいつも見当たらなくて。
「結婚してても孤独を感じるなあ」と漠然とした不安に包まれていたのです。

ところがw

妊娠すると、「一人じゃない」感が満ち満ちてきてですね(^_^;)
ワシが鼓動を打って、こうやってご飯を食べて歩きまわって、色々考え事をしてても、お腹の子は勝手に鼓動を打って(ワシの鼓動とは違うリズムで!)勝手に動き回り(グルグルと高速回転したり)手足を突っ張って存在を主張するのです。

「ワシとは全く別の人間がこのお腹の中に(今だけ限定で)いるという不思議」
に心を深く打たれまして。
「なんだ、どこへ行こうが何をしていようが、今、この瞬間、ワシは全然孤独じゃないのだなあ」
と気がついてからは。

何がどうあっても強くなりましたね。
夫に暴言を吐かれても。身勝手な行動を取られても。
ワシの気持ちも理解せずに無神経な振る舞いに出ても。

「ワシにはこの子がいるから」「この子を守らねば」
と、強くあらねばと思うようにもなりました。
いわゆる「母親のヒグマ化現象」ですね。
子供を持つと大抵の女性が強くなりますが。
本能的に我が子を守ろうとするのはもちろんですが。
ワシの場合は、自分の最終的な孤独を救ってくれた存在に報いたいと、思ったんですね。