山麓日記帳

全ては消えゆく、雨の中の涙のように

ワシの幸せについて考える

昨日、久しぶりに発熱しまして。寝込んでおりました。
多分、熱が出たのって去年の入院中。
手術中に皮膚の常在菌に感染して高熱が出た時以来…なんじゃないでしょうか?
去年の手術でリンパ郭清をしちゃったため、感染に対する抵抗力が落ちているのでなんとなく気をつけていたのですが。
ま、こんな事もありますよね(´ω`)16ヶ月ぶりの発熱…<とか考えると普通に健康体な人より健康な気がしてくるw

今年はね。
自分を見つめなおす日々でした。
見つめなおすという作業には苦しいこと、悲しいこともあって、泣けるのは仕事場から帰る車の中だけだったので、ダラダラ泣きながら(時には声を上げて)運転しておりましたが。

自分の認めたくないこと、知りたくないこと、理解したくないことを自分の中に取り込むってのはなかなかに困難な作業でありまして。
でも、自分のダメなところがよく見えてきた一年でありました。

ワシというのは非常にダメな部分がある人間でして。
その最もたるところが「自尊心がない」「プライドが低い」ってところです。
「自分の価値を見いだせない」というのもありますな。

なので、自分の身を削って人に与え尽くしたくなってしまうんです。
自分の身も心も全部誰かに全部与え尽くしてしまいたくなるんですね。
それはおそらく、誰からも無私の愛情を受けたことがないからなんです。受けたのは条件付きの愛情だけ。
ワシにとって愛とは与えるだけの一生のようですね。ワシが与えるのはいつも無私の無償の愛情なんですけどね。

自分が子供の頃から尊重されたことがない。
バカにされ続けて大きくなったって事。この影響が大きいように思います。
なので「自分を破壊したい」という願望がマイナス方向(売春とか犯罪とか)に進まなかったのは不幸中の幸いでしたが。
でも、どっちにしてもゆっくりと自分で自分を殺して行ってるってことに変わりはなかったんですよね。

最近ようやくそのことを自分で理解しました。ボイスが教えてくれたような気もします。
ワシに一身に無私の愛情を与えてくれたのはボイスが初めてでした。

自分の人生が自分の力ではどうにもならないってことに絶望して。
「もう死んだほうがマシ」「死んじゃいたい」
と思っていたのが去年のワシだったわけですが。

今年、非常に驚くようなことが起きてですね。

ワシはそれによって、自分の心のなかに芽吹いたものに驚愕しながら、恐れながら。
最初は否定しながら。
でも徐々に受け入れる気持ちになって来ましたね。
そしてソレを受け入れることはワシの人生にとってとても良いことなのだと。
時間がかかったけど、理解しました。

自分を否定して、足蹴にして、すりつぶすことでしか自分の生きる道を見つけられなかったワシが。
そういう事とは関係のないところで、生きる喜びを見つけたのですから。
人生って52歳になってもまだ新しい発見があるものなんですな。

来年はワシ自身の幸せとはなんなんだろうと。
もう一度考えてみたいと思っております。