山麓日記帳

全ては消えゆく、雨の中の涙のように

ボイス追悼 1

朝晩めっきり涼しくなりました。
夏が終わる頃、去年は辛かったですねえ。
あんなに辛い経験は久しぶりでした。

ボイスの供養のために、ボイスのことを書き残しておこうと思います。

ボイスがうちに来た経緯

そもそも、「犬を飼おう」とワシが決めたのは、あまりにもイノシシの傍若無人ぶりがひどかったからでした。
「玄関開けたらサトウのごはん」みたいな感じで。
「(内側から)玄関開けたら巨大イノシシ」という状態でですね。
庭はイノシシの運動場みたいな状態になってて。
あちこちイノシシの鼻で掘り起こされ。ついに「イノシシ臭い」という状態にまでなっちゃったんですね。

当時は初号機も小さかったし(幼稚園年長)
イノシシとエンカウントする恐れもあったので(夕方にも出没するようになってた)
対イノシシに一番効果があるのは犬!
と、知識としては知ってはいたのですが…
犬とか、基本、「いつも飼い主の顔色をかがってて可哀想な存在」に(当時の)ワシの目には見えていたので。

「なんか…犬を飼うのってツライ(重い)よなあ」

と、思ってたんですね。
猫は飼ってて気楽だから。「猫を切らしたことのない家庭」としては。
「足の生えた家具」ぐらいの存在感で。最低限の世話だけでよくて、気が向けばもふもふして可愛がって。基本一日中、勝手気ままに暮らしてくれている猫って、楽なペットなんですよ。

当時は巨大白猫の「ブリちゃん」が居たので「ペットはコレで十分」な気持ちで居たのです。
このブリちゃんも不思議な猫で。
1994年の夏の終わりがけの日。
初号機を連れて買い物に行って、その帰り道に誰もいない海で初号機を泳がせて遊んでいたら、どこからともなく白いフカフカの毛並みの猫が走って現れて、初号機にじゃれついてきたんですね。

どこからどう見てもペルシャ猫の子猫で。
この海辺には会社の保養所とか別荘があるので、「そのうちのどこかで飼われている猫かな?」と思って「またね」とその子猫に手を振って別れたら。
翌日、同じ場所でまた遊んでいると、その子猫がまたやってきてじゃれてきたんですね。
見ると飼われている猫にしてはやせ細っている…

「ん?まさか捨て猫??」
と、見ると砂浜に落ちている貝殻をぺろぺろ舐めているんですよ。
当時、我が家には1984年の夏に当時ワシが務めていた会社の近所の文具屋さん(通称「猫屋」猫が40頭ほど居る伝説の猫屋敷)から貰ってきたシャム系雑種の黒猫「サラちゃん」が居たので。
「えー。連れて帰るのはちょっとどうだろう??」
と一瞬悩んで。
「やっぱりダメだわ(サラちゃんはソレはソレは気位の高い賢い犬みたいな猫で。我が家の4回の引越しについてきた老女王様だった)サラちゃんがこんな得体のしれない子猫のことを許してはくれないだろう」
と諦めて。

砂浜の入り口に止めた車に初号機と乗り込んだら。
そのペルシャの子猫がダダダーーとものすごいイキオイで車に乗り込んできたんですね。
「え?自発的に車に乗る猫とか居るの??」
と驚いてしまって車から追い出すのですが。
追い出しても追い出しても乗ってくる。ものすごい根性で乗ってきて、あげくアクセルペダルの下に潜り込んでしまうほど。

「つまりコレは連れてけってことですか」(´・ω・`)

と諦めてこの子猫を家に連れて帰ったんですね。
すると、老女王さまのサラちゃんが「キシャー」と怒る怒る…(ーー;予想してましたけどね。

なので、あまり両者が顔を突き合わせないように気をつけながら、その子猫に餌を与えることにしました。
野良生活がしばらく続いていたようで、飢えていたので。
「死ぬ前にお腹いっぱいに食べて、天国に召されるのもヨカロウ」
という気持ちで、欲しがるだけ与えてたらですね…

体重10kg超の立派なペルシャ猫になりましたとさ(:D)| ̄|_

雌だと思って当初「ブリジッド」という名前だったのですが。
フサフサのこの白猫を抱っこしてたある日。
「ん?この手のひらに当たるコロコロとした二つの塊はナ〜ニ?」と毛をかき分けて確認したら、二個の立派ながあってですね(ーー;
「雄だったんかいー!?」
という事で「ブリジッド」から「ブリちゃん」に変名。
去勢手術も受けて、老女王猫サラちゃんとの関係もその頃には随分と良くなり。

「老女王様も丸くなったものよのー」と家族に感心されておりました。

そして、1995年1月阪神淡路大震災の日にサラちゃんが11歳の生涯を閉じ。
1997年。イノシシの被害がひどくなってきた頃、当時飼ってたペットはブリちゃんだけ。になっておりました。

ここで知ったことは。
猫は対イノシシに無効」という事実でした。
ブリちゃんたら庭に来るイノシシに向かって、「ニャン♪」て言いながら腹を見せてヒックリがえって甘えてみせたんですもの(´д⊂)
その現場を見た時のワシの絶望たるや…_(┐「ε:)_

最初は友達の家の犬の◯ンチを貰ってきて庭に置いたりしていたのですが。ソレは最初の頃こそ効果があって。
暫くの間はイノシシを遠ざけてくれてましたが。
イノシシも賢い。
「◯ンチはあっても犬本体は居ない」という事実に気がついてしまってですね。

犬の◯ンチがあってもお構いなしにイノシシどもが庭に侵入するようになり。
庭はまたしても「イノシシの遊技場」に戻ってしまったんですね。
「コレはやっぱり犬本体が必要ってことか」
と観念して犬を「借りてくる」事に勝手に決めたワシでありました(夫は犬を飼うことに大反対してた)

「いいよワシが全部世話するから」
と警察犬訓練所の居候犬「ネルダ」(ジャーマンシェパード)を「トライアル」という事で、2週間借りてきてみたら。
効果てきめん!
イノシシはもう庭に入ってこなくなったんですよ。

ところが、ワシはネルダをこのまま家で引き取って飼ってもいいと思っていたのですが。
ネルダはコンテスト用にドイツの有名犬舎からやってきた美人犬だったのに、日本での飼い主に虐待をされて育った犬でして。
色々と問題行動の多い犬でした。
大人だけの家庭だったら多分、時間をかけて愛情を持って飼えば咬傷事件とか乗り越えながらも普通の家庭犬になれたのかもしれないけれど。
当時、犬に関してまるで素人の我が家には手に余る犬でした。
初号機も当時幼かったので、事故があってからでは遅い__と泣きながら(別れが辛くて。泣きすぎて鼻血が出た)訓練所に戻しました。

人間を激しく憎みながらも、ワシにひっそりと甘えてきてたネルダの面影が。
哀れで懐かしくて。思い出すと寂しくて。
紹介してくれた動物病院のドクターに「かくかくしかじか」と事情を話すと、
「心に傷を持つ犬の世話は難しい。今度飼う犬は子犬からにして、愛情を持って家庭犬に育てなさい」
とアドバイスを受けました。
そしてワシは、
「カワイソウな境遇の子犬をどこからかもらってこよう」とココロに決めたんですね。

夫は相変わらず「俺は世話はしない」「可愛がらないから」と宣言してましたんで。
「いいよ、ワシが全部世話して可愛がるから」と宣言して犬探しを始めたのです。
ところが、探すとなるとなかなか、「行き場のないカワイソウな子犬」って居ないんですね(苦笑)

すると、1997年の秋。
知り合いのパン屋さんに予約してたパンを引き取りに行ったら。
そこにパートに来ている女性が、ワシに向かって
「子犬欲しくない?いい犬よ!」と突然言ったんですねw

それがボイスとの出会いでした。