山麓日記帳

全ては消えゆく、雨の中の涙のように

5月8日のピロウズを見て

まあ、なんせ「トライアル」というアルバム自体が非常にシリアスで重いものであるせいか。
このアルバムツアーは、なんというか、「しんみり」とした雰囲気になることが十分に予想されたにもかかわらず。
…やっぱり実際にライヴで聴くと、「しんみり」としちゃいますねえ…

それでもやっぱり、「どんなセットリストで来るんだろう?このシリアスでダークなアルバムを全曲披露するのに、自然な流れってどう持っていくつもり?」と気になってた部分は、十分に解決してましたね。
それで改めて感じたことは、
「そうだよ、ピロウズの魅力はこの、陰鬱でメランコリックな部分にあるんだった!」と言う事です。

なんせここ数年来(20周年の前後を挟んだ2~3年間)、ピロウズの「陽」の部分がクローズアップされて(もちろん、それは単純に「音楽をやり続けていくことの喜び」が基本にあったと思うのですが)いました。
ところが、3.11が起きて。
どうしても普段考えないような事を考えざるを得ないようになった。
目をそらして、向き合わないようにしていた事とも向き合わなければならないようになってしまった。

その事はもう、「3.11以前の生活には戻れない」という事を意味し。
「自分が変わってしまうかもしれない」という事かもしれない。
自分の足元から全てが崩れ去るような恐怖をも感じるような日々でした。地獄のような2011年でした。

そりゃあ、そんなさなかに作った楽曲が中心となった、このアルバム「トライアル」
シリアスにならざるをえないですよ…

そして今回、実は一番驚いたことは。
弐号機が感動のあまり号泣していたことです。

初号機を初めてピロウズのライヴに連れて行って、彼女が感動のあまり涙を流したのは中3の時でした。
そして今、弐号機が中2。
つまり、「そういう事がわかるお年ごろになった」って事ですよ。

自分がはみ出し者であると気がついて。
その現実と向き合うときに、どれほどピロウズの音楽が心に深く刺さって、慰めてくれるものなのか。
弐号機にもそんな事がわかるようになったんだなあと思うと、感慨が深かったですね…

弐号機は8歳の時からピロウズのライヴに通ってまして。
当時は身長が140センチちょっとくらいだったので、モッシュゾーンの最後尾でワシに背負われて見てたんですがw
その子が、感動して滂沱の涙を流すなんてねえ。

「なんかもう、心にグサグサ来て、泣かんどこうと思ったのに、もう涙が止まらんようになってしまって、エネルギヤからトライアルまで、ずーーっとダラダラ泣いてた。ら、隣に立ってたお姉さんも大泣きしてた」
と、弐号機(^_^;)

「前はライヴを見ても、『カッコイイなあ』と思ってただけだったけど、今回は何かが違った。凄く心に響いてきて、なんか曲の気持ちがわかって、泣けて泣けて仕方がなかった。曲を聞いて泣くなんて、生まれて初めての事だった」
と弐号機。

ライヴが終わった直後の弐号機の様子が忘れられません。
紅潮した頬。
なにか憑き物が落ちたような、さっぱりとした風呂上りのような表情(^^;
しかも、感動に心が震えているらしく、瞳がキラキラしてましたよ。

「ああ、なにか大人になったんだなあ」とわかりましたとも。
彼女も色々悲しいこと、辛いことがあるんでしょうね。
いくら血がつながった実の親であっても、心の奥深いところにある彼女の悲しみをすべて理解することは出来ません。
彼女を受け入れて、愛することは出来ても。

でも、ピロウズの音楽はそんな時に彼女の心に寄り添い、慰めてくれることが彼女自身の力で自然に沸き上がってきた感情で理解できて、ヨカッタです(親心)
つまり、弐号機は心に武器を持った。お守りを手に入れたって事ですよ。



この夜のピロウズ
あはは、ワシが写っているw