山麓日記帳

全ては消えゆく、雨の中の涙のように

2011年雑感

ボイスのことを書いてたら涙が出てきちゃったので、日記を一旦アップしちゃったんですが。
でもやっぱり皆さんに一言お礼を言っておこうと思いまして、改めて日記を書いております。

今回、乳がんになってよかったことは、なんというか、「みんなに愛されてたんだなあ」と実感できたことでしたねw
「なんだいミカボ、みんなに好かれてたのねえ」
改めて実感いたしました。
これは結構な驚き(&感謝)でありましたm(_ _)m今更ですが、みなさまに感謝申し上げます。
いつも見守ってくださっててありがとうございます

みなさま、ご心配をおかけしました。
みなさまの応援のおかげでもうすっかり元気になりましたよ(それこそ毎朝の薬を飲み忘れるぐらいの勢いで<コラ)
みなさまあってのミカボでございます。
みなさまへの感謝の気持ちを忘れずに来年も生きてゆきます。

それとなんと言っても、夫のワシへの気持ちがねえ…
不器用な男ですが、本当にキミはワシのことが好きだったんだねえ!と驚くことの連続でありましたw

昔は目玉焼きしか作れなかった男が(^^;
ワシの入院中の2週間、こどもの世話、食事の準備等全ての家事をやり遂げて、家の大掃除までやっててくれてたんですよ!(感動)

おかげでワシは真夏の一番暑い時期に2週間、冷房の効いた病院で博多湾を眺めながらリゾート気分で療養できました。
出会って以来、31年間の借りをすっかり全部返してもらった気分です。

実はワシが病気になったことはワシにとってはそんなに大した問題ではなかったですね。
震災、原発事故、ボイスの死。
その方がよっぽど辛かったです。
その悲しみ、怒りに比べれば自分の病気なんて本当に些細な出来事で。
勿論、自分の家族のためにもこの病気で死ぬわけにはいかないという気持ちはありましたが、「病気でも事故でも死ぬときには、そら死ぬわなあ」という諦観もどこかにあり。
自分の病気は常に、実は、殆ど気にしたことがないという…

病気の事を気にしてて気にし過ぎてても仕方がないってこともありますがね!φ(゚∀゚ )アヒャ

それでもやっぱり、自分の病気の先行きが分からない頃(実際、乳がんは切除後に患部を病理検査に出さないとどの程度のガンの進行具合なのか本当のところはワカラナイということもあり)
勿論、目の前が真っ暗になる時期もありましたともー、さすがのワシだってぇー。

そんな時。
ライヴに行ったのは本当に救いになりましたね。

手術前、怒髪天の増子さんに手を握って目を見つめて歌ってもらったこと。
素晴らしいセットリストのピロウズの力演を見られたことはどれほどのワシの力に、勇気になったことか。

自分を励ますつもりで企画した12月上旬のピロウズシングルリリースミニツアー大阪遠征旅行も行ってヨカッタです。
あれほど弱ってた身体がすっかり元に戻っていたのを感じました。自信にもなりました。
一時期は「この体が弱った状態でこの先一生暮らすのかも?」と陰気になっていたので。

やっぱりワシのエネルギーは音楽なんですね。
1月にリリースされる新譜「TRIAL」も名作の予感満々で今から物凄く楽しみにしております(・∀・)
だって、こんな悲しみの中でアルバムを作るなんてことは多分、「Please, Mr.Lostman」以来、無かったことでしょうし。
この空気感がきっと彼らの音楽制作に影響する何かを、エッセンスを、陰影を加えるのではないか?と物凄く期待しているのです。
その空気はおそらく、ワシの痛みを、悲しみを、傷口を、優しく慰めて新しい力を与えてくれるものだと予想できるのです。
どんなに悲しくても辛くても、常に希望を掲げて見せてくれる音楽があるかぎり、ワシは強く生きて行けます。

それと、今年ワシを救ってくれたのは実はバトンでもありました。
まったくの偶然から、あれよあれよと話がまとまって、あっちゅーまに沖縄から空輸されて来ちゃった黒白の子犬。

「なるほど、犬というのはかように飼いやすいものだったか」
と目からウロコの連続でw
洋犬独特のクールさに驚きつつも、バトンのお陰で楽しく毎日を機嫌よく暮らさせてもらっております。

バトンがいるから毎日散歩にも出かける。ワシも健康をめきめきと取り戻していっております。
バトンを抱っこして撫でることは精神衛生上もとても良いことです。
いわゆる「バトン健康法」?w

すべてのことが巡り巡って。
結果としてはコレでよかったのだなと思うことが多かった2011年でした。