山麓日記帳

全ては消えゆく、雨の中の涙のように

フレヂーの命日にNo Thyselfについて思う

CSでやたらとQUEENの特集があっているなと思ったら「そうか、フレヂー(フレディー・マーキュリー)の命日か」と納得。
色々とドキュメンタリーを見たりしていたらなんか不思議な感慨に囚われてしまいました。

ワシは当時、日本でいち早く()QUEENを見つけて夢中になった少女の一人でしたが。
実は好きだったのは2ndまででして。
3rdでは早々に飽きて(:D)| ̄|_興味が失せてたんですな。
まあ。「想像してたようなハードロックではなかった(POP過ぎた)」ってのが一番の原因なんですけどね。
なので実は「オペラ座の夜」もまともに聞いたことがナイw(なんとなく楽曲は知ってますが)

当時、ワシの興味は完全にロキシー・ミュージックにシフトしてたのでQUEENへの興味が完全に失せてたんですね(苦笑)
なんとなく、その後のQUEENというバンドの変遷も知っていたし、悲劇的な最後も知っては居ましたが。
どことなく「他人事」というか(ーー;
ワシの冷血のなせる技っつーかw

そもそもは「QUEENなんか最初から魅力があったじゃん。ソレを無視してたくせに今頃ちやほやしたって遅いよ。QUEENが一番美味しくて旬だった時期なんてのはもうとっくに終わってんだよ!」と思ってたからなんですなコレが…

この上から目線!
人は基本、変わりませんね(苦笑)

ま、それとも似ている(最初っから素晴らしいぞという部分)けど、ちょっと違うぞMAGAZINE!<つまりコレが言いたいとw

ワシが好きだったのはMAGAZINEであって、フォーミュラー博士のソロやらハワードおじさんの華麗なる一人音楽会でもないし、アダムソン兄の架空映画音楽大全でもありませんでした。
ましてや偽物のMAGAZINEみたいなVISAGEとかジ・アーモリーショウとかじゃなかったのです。
あんなんMAGAZINEの抜け殻よ。カスよ。暴言デター(゚∀゚)アヒャ

黒いタイトなリズムに魔術みたいなベースライン、流麗なシンセサイザーに飛び道具のピアノ、メロデイとは全く関係のないフレーズを弾きまくるギター(この芸風はジョニー・マーに引き継がれたと信じているワシ)
悲鳴のようなキモチノワルイひっくり返ったヴォーカル。
なんだかよくワカラナイ事を呻くように必死に歌うそのスタイルこそが、実はワシの気持ちにぴったりと寄り添ってくれたんですな。

当時はアレほど素晴らしいアルバムを3枚も出して。
「なんで4枚目がコレ(Magic,Murder & the weather)なんだよ?」
とがっかりしたっつーか。
裏切られたような気持ちになって。
なんでこんなアルバムが世に出たのかすら理解できなくて途方にくれたものでしたが…

今ならわかる、わかるぞーー!!(メダパニ

再結成された当初のハワードのインタビューを読んで全部納得が行きましたな。
ビバネット社会。
印刷物では一生日本に流通しないと思われるマイナーなインタビュー記事も読めるんだぜ!w

つまり、MAGAZINEとは途中で放棄されたバンドなんですね。
このメンバーでマジックも起こせる。化学反応も起きる。
まだ出来ることやれること、新しいことが始められる余地があったのに(たまたまの偶然に起きた不幸な運命とか諸事情により)放棄された道だったんですな。
不幸なことにギタリストが早世し、新作にはベーシストが変わってしまいましたが。

また、MAGAZINEはハワードの年老いたことを忘れるようなエンジンを再び搭載して走り始めた。
この個性のぶつかり合い。
バンドが放つ輝きこそ、ワシが求めていたものですよ!

なんかもう、この「30年ぶりの新作」の出来の良さにはひたすら感心です。
よくぞ、一般人として生活していたのに、ソングライティングもヴォーカルの実力も衰えること無くキープしていてくれたと(見た目は別人であっても<でも映画「24HOUR PARTY PEOPLE」で発見したときは倒れそうになったぞ、さすがのワシでも)ハワードおじさんを褒めて遣わしたい(上からw)

うーん、リアルタイムでMAGAZINEに出会い。
好きになった(実は未だに一番好きなバンドはMAGAZINEなんです。ピロウズは二番目。ごめんw)ワシの目に狂いはなかったって事ですね。