山麓日記帳

全ては消えゆく、雨の中の涙のように

大蔵さんの事

少し前に、以前お世話になった方のブログを読みに行ったら、なんか丁度、不幸があったみたいで?
よく事情はわからなかったのですが、誰か周辺の方が亡くなったばかりのような?感じの事が書かれていました。
「ふーん、ナニがあったんだろう?」と思いつつも。

同じころ、自分の乳房に「しこり」を見つけてしまって、「病院に行こうかどうしようか」と逡巡してた頃だったので、その後の怒涛の、告知、検査の日々に紛れてすっかりその事を忘れていたのですね。
そして、昨日。
久しぶりにそのブログを訪れて、その書き手さんご本人が急逝なさっていた事を知りました…

「あんなに若くて才能ある人がナンで!?」と衝撃を受けて、調べると、「クモ膜下出血」で急逝なさったらしい事がわかりました。
若くて働き盛りで。
これからも自分の職業に対して情熱を燃やしていた方だったのに、なんという…

少し前にCSで見た、イースタンユースドキュメンタリー映画「ドッコイ生キテル街ノ中」での吉野さんの言葉を思い出しました。
心筋梗塞で一時、心肺停止になった後のインタビューで吉野さんはこう言うのです。

人間って死ぬときはBメロの途中でいきなり死んじゃうんだよ
サビにも行き着かないまま、「え?今、このタイミングでですか??神様!」と思う間に連れて行かれちゃうんですよ__みたいなお話だったのですが。
その事を思い出しました。

淡い縁のお方でしたが、強烈な印象でした。
実質、初号機のショーモデルとしてのデビューをさせてくださったのは彼です。
彼のおメガネにかない、ほぼ「イチオシ」の状態でショーにお披露目してくださった。
ウォーキングの練習も全くやってない、スカウトされたばかりの状態の初号機をセンターステージに連れてってくださって、
世界的に有名な、ヘアデザインのトップの方に引きあわせてくださった。
そんなイギリス人でパリコレや一流メゾンのヘアーを提案しているような人なんか、一生お近づきになることはないと思っていたのに。
直々に「Great job!」とお褒めの言葉まで頂いた。

たったの18歳で世界一流の人と仕事が出来るという事がどれほど貴重な経験だったか。

初号機のこともとても気に入ってくださって、まだ6月なのに、9月10月のショーに「君にまたお願いしたい」と言ってくださった。
(なのに、事務所のマネージメントが◯◯でその先約を台無しにしてしまった<その事が実はモデル事務所を辞めた最大の理由)

「でもまた、どっかで会えるよね」と思っていたのですが。
熊本に行ったとき、彼のサロンの前をたまたま通りかかって、
「普段はココにいらっしゃるんだよね」と思っていたのですが。

もう、あのサロンには彼は居ないのだ…と思うとなんと寂しいことでしょう。
あのステージで、初号機をエスコートして最後、拍手を送ってくださっていた彼の姿。
初号機から漏れ聞く、彼の才能、仕事ぶり、優しい人柄。
「あんなに若くてカッコイイ、仕事もできる。しかも優しいなんて、凄い人が居るもんだな」と強烈な印象を持っておりました。
「へー、コレが縁で初号機と彼が恋に落ちるなんて事があったら面白いのに」とか無責任なことを思ったこともありましたが(ーー;スミマセン、こんな母親で。
まさか、こんな結末が来るなんて。夢にも思っていませんでした。

初号機に告げると衝撃を受けておりました。
「芸術家肌の人にありがちな、ふわっふわっした空気感のある人で、なかなか言葉が普通の人に伝わらないというか。ユニークな人で、もう一回、会いたかったな。もう一回、髪を切って欲しかった」
と申しておりました。
彼がいつか「理想のモデル」としてブログに書いてたモデルの条件が、まさに、初号機そのものだったんですよね。
本当だったら、もう1回だって、何回だって一緒に仕事ができたのに…(;_;)と思うのは母親の贔屓目でしょうか?

淡い縁でしたが、鮮烈な印象と共に、多分、一生忘れることのない男性でした。
大蔵翔さん、合掌