山麓日記帳

全ては消えゆく、雨の中の涙のように

頑張っている自分が好き

そうこうするうちに事態は悪くなるばかり。
石原慎太郎の「天罰」発言は、もしかしたら、ワシの想像だけど。
天罰はこの、豊かな生活を享受している現代人全員に向けられた言葉なのかも?とも想像したりしている。
だって、それはワシにも身に覚えがあるからだ。

温かい御飯を毎日食べて、洗濯機を回して食洗機を回して。
自家用車で出勤して、コタツでノーパソ開いて。
それもこれもどこかで誰かの犠牲の上に成り立った繁栄だって気がついているはずなんだよ。
それが福島の人たちだったり、玄海町の人たちだったり。
アジアの隅っこで靴を作る子どもだったり、戦争の被害者となって泣きながら逃げまわる子供たちだったり。

誰かの死体の上で踊りまわってこの楽しい人生を受けているのが現代人なんだって。
みんなどこかで気がついているはずなんだよ。

今更節電とか、「みんなで協力して頑張ろう」とか。
ちゃんちゃらおかしいわ。
今まで散々東京の電力を福島に頼って、原発を押し付けてきてたくせに、今更「福島の復興を願います」とか。
どの口が言うんだよ。
復興したらもっと安全な原発を作りますからよろしくねって事かよ。
本当に原発が安全なら東京23区内に建てろよ。
そしてその上でこの経済を回して踊り狂えよ。

ツイッターで回ってきた=「計画停電」はヤシマ作戦の一環と考えよう。「停電計画」は、「停電があるかもよ」ぐらいに考え「天気予報」と同じ「電気予報」と考えてみる。もし停電が見送られたら、それは天からの電気の贈り物があったと思えばいいんじゃないだろうか
なんて意見には心底ゾッとした。

「天からの電気の贈り物」
そんな綺麗事で慰められるのは誰の気持ち?東京人の気持ちでしょ?
もうワシ、今、めちゃくちゃ怒りモードだから各方面から怒られるようなことを書いているんだと思う。
もしも気に入らなければ、あなたは「ああ、頭がオカシイおばさんが一人でキレている」と思ってブラウザを閉じてください。
ネットは簡単だ。ブラウザを閉じれば全てが終わる。

ワシは、この日本に。自分が生きている間に「ゾーン」が出現するなんて夢にも思わなかった。
でもドクロ柄の流行はそういう事だったんだね。
「詩人に欠員が出たら大変な事だ 仮にその席が埋まったにしても」(パステルナーク)