山麓日記帳

全ては消えゆく、雨の中の涙のように

クィーンというバンドの事を考える

妖しげな両性具有ぽい雰囲気のエキゾチックな容貌のフレディ。
背が高くてモシャモシャ頭の優等生ぽいブライアン。
金髪でちょこまかした(?)印象の美少年ロジャー。
いつも控えめで大人しいジョン。
この「まだ世界中のドコからも評価されてない若いハードロックバンド」の4人は「ルックス的にも十分OK!」だったんですよね。

イギリス本国では「コイツラが売れたら帽子を食べてみせてもいい!」とまで評論家に言われてて(´・ω・`)
なんか気の毒な可哀想な存在でした。

おそらく、当時のハードロックのバンドは殆んど全て、「黒人音楽へのコンプレックス」から発生したモノだったからなんですよね。
「ボクも南部で黒人に生まれていたらなー」ポワワワワン♪みたいな妄想世界が素地にあって。
当時のハードロックとは、「でも、ボクはイギリス生まれの労働者階級の少年で、アメリカなんか行った事もないー。南部がどんな気候かもよく知らないー。でもブルーズへの憧れだけは誰にも負けないよ!(・∀・)」
みたいなコンプレックスと憧れとシンパシーが奇妙に入り交じった不思議なフィルターを通した音楽だったんですよね。

しかし、一方ではブルーズでは無い、フォークやクラッシックを素地に持つハードロックバンドが時代とともに登場し、ま、クィーンの登場も「時代の流れとして当然」であった訳ですよ。

純粋な白人でない(ペルシャ人との混血でしかもゾロアスター教徒)バンドのフロントマン(フレディ)が、自身の出生から「必然であった」とも思える、白人社会への強烈なコンプレックスの裏返し的な白豪文化の極地!!みたいな音楽と世界観で、当時最も普遍的な音であるハードロックを使って鳴らしたんだから。

まー。「ブルーズ至上主義者」にはわからんでしょうな、この良さは。

西欧文明社会への強烈な憧れとコンプレックス。
それが極東の、「何故ワタシが生まれたのがこの極東の小国なの?何故イギリスじゃないの??何故私の家にはひいおばあさまから譲られた豪奢なドールハウスや黒毛のポニーがいないの??」と涙目で毎晩お星様に問いかけていた少女たちの気持ちとリンクしたからって。
ソレはもう誰にも止められないくらい、ごくごく自然な話であったわけですよ。