山麓日記帳

全ては消えゆく、雨の中の涙のように

世界平和について考えるバカ

暑い中、テレビをつけっぱにしていたら、広島の平和式典の中継が始まりました。
ナニゲにそのまま見ていて、広島市長の言葉にひっくり返るワシ。
「コレはネタ?本気??頭がおかしいの?それとも理想が高邁すぎて誰にも理解されないの??どっちだろう??」
としばし困惑した後、
「そ、そうね。広島市長って大変な仕事だからどうしてもこうなっちゃうのかな?」
とつかの間、優しい気持ちで思ったもののその後調べて「この人はガチ」と知って更にひっくり返りました。

「ものすごい人を市長に選んだものだな、広島ぇ…」

「世界中の誰にも理解されなくてイイ!!」と思っているんのだったら仕方ないけど、世界に向けて世界平和と核廃絶を唱える立場にある(事が出来る)都市の首長がコレって…ぇ…
そもそも自国の首相とすら意見が一致してないってドユコト?(ーー;

でも、よくぞこんな所(失礼)に駐日米国大使とか来てくださいましたよね…
ソコに感心しちゃった。
「献花がない!」とか「お言葉がない!」とか「謝罪と賠償をシル!!」とか全然思わない立場のワシである…ということを差し引いても、やっぱりコレは凄いことですよ。
アメリカ本国ではこの広島を原爆投下の日に訪ねること=「オレが悪かった」と言ってるも同然!て事になるんでしょ?
アメリカの教育では、「原爆投下は正しい」「戦争を早く平和的に解決した」って事になってんだから(核の脅威は正しく教えられてない事も含めて)この行動の重みは、日本人が想像するより更に重いものだと妄想します。
つまり、自分の首をかけてまで来てくださったって事なんでしょ?

ワシの見解は「原爆は戦争終結の理由(いいわけ)に使われただけで、本当にやりたかったのは人体実験」(自国民すらも人体実験に使うのに、なんで敵国民を人体実験に使うことに心が痛むものか)です。あしからず。

「この爆弾のおかげでたくさんの命が救われたのです」なんてどの口が言うのやら。
「使ったみたかった」てダケじゃん。
倫理観より科学者のエゴが優った。神をも恐れぬ冷酷で残虐な実験が本当にこの地上で行われた。
ただそれだけです。
多分、そんな事はアメリカ人は口が裂けても言わないでしょうが。
今回の広島行に合わせて発表された駐日大使の談話はかなり練り上げられた反論の余地のないものでしたね。
オバマ、良いスタッフがついてんな…