山麓日記帳

全ては消えゆく、雨の中の涙のように

看板を読み上げる次女子

買い物から帰ってきている途中。
次女子が突然、
「風船持ってた王子様の看板(ラブホ)が無くなって、代わりに幸福のなんちゃらって看板がかかってた!」
と驚いたように言う。
「幸福の……科学?」(以前、その看板がかかってた場所に某宗教団体から立候補した人物のポスターが張ってあったのを見たことがあった)
と、ワシが言うと次女子、
「幸福と科学って凄く言葉の食い合せが悪くない?」と鋭いことを言うw

でもねー。某冒険小説家もハマってたくらいだから、実際に内側に入っちゃうとそんな「言葉の食いあわせ」とか些細な事は気にならなくなるんじゃねーのー?
普通だったら。文章を書く事を生業にしていたら尚更、この言葉の食い合せは危険!って気が付きそうだけどねw

「幸福は科学するもんじゃないだろう?」と次女子。
もうすぐ12歳の女の子にもわかる理屈です(^^;
「ちなみに、自称ブッダの生まれ変わりって言い張っている人は、とてもエラソーです」と言うと、
「仏様はえばってないよ」と次女子。
だから「自称」だってば。
「生まれ変わり」っつーのがそもそもオリジナリティに激しく欠けているよね。

お寺の前を通りかかったら、次女子。
「ねえ、なんでお寺の前の黒板っていつもなんか変な言葉が書いてあるの?」と言う。
「変な言葉じゃなくて、『ありがたい言葉』のつもりで書いてんじゃねえの?」と言うと、
「この前はねーなんか、『鬼が来るぞ』みたいな事が書いてあったよ」と、次女子。

「いや、ソレは前後になんか他の文章があって、『鬼が来るぞ』じゃないの?」と言うと、
「なんかあった気もするけど印象に残ったのは、『鬼が来るぞ』部分だけwなんか『こわっ』て感じだった」と次女子(ーー;
住職さん、全然近隣の小学生に伝わっておりませんがな…

ちなみに、このお寺さん。
住職さんが長渕剛のファンらしくw時々長渕剛の歌詞の一節がお寺の前の黒板に掲げられております。
「世の中にはピロウズの歌詞を掲げているお寺もあるらしいよ」と教えると次女子、
「なんでそんな事するの?」と訊いてくる。

「いや、だから衆中を救おうと思ってやってんだってば!」と言うと、
「どうせ読んでないんだから何だっていいじゃん。『鬼のパンツは良いパンツ』とか」と次女子。

鬼のパンツは良いパンツ
強いぞ
強いぞ

大事なことだから二度言ったんですね(^^;