山麓日記帳

全ては消えゆく、雨の中の涙のように

だからワシが何度も言ってるだろうに

「バンドはファンを選べない」って(元々言ったのは夫だが)言葉。
ソレに関してチョット思うところがあったので、忘れないうちに(アルツ)ココに書いておきますね。

DichtenのUst生中継で気になったのは、お客さんの少なさもですが。
ステージ前に張り付いているファンの方々。
いや、勿論、ファンだからこそ張り付いてらっしゃるんでしょうけど。

「なんで地蔵なん?」

コレは単にワシが「地蔵の客が嫌い」って事もありますが。
「この音楽を聴いて地蔵で居られるその神経がわからん!!」が正直な感想です。
まー「こうやってクールに聴いている方がカッコいいよね。踊るなんてみっともなくてpgr」って事もあるんでしょうが。
黙って棒立ちで聴く曲もあれば体が勝手に踊りだすって曲もあるでしょうに。
この場合、体が勝手に動けばそのままの方がより人間らしい、美しいって思うワシはなんか間違ってますか?
なんかワシ変な事、書いてますかね!?(更年期的逆ギレ)

なんかねー。氷のようなお客さんを見ていると、実はこの人達は目の間の演奏ではなく、どこか遠い場所にある記憶の中のナニカを探りだそうと、脳内の別物を見つめているのではないか?
穿った見方をしてしまいますね。

バンドはいきものだから、その姿を変えたり、色々紆余曲折あるのは当然のことで。
それをファンがあれこれ言う資格はないんですよ。
そんなファンの顔色伺って音楽を作る人は音楽家ではありません。
楽家はいつも堂々と自信を持って、自分の作品を提示して欲しいですよ。

思い越せばピロウズが第二期を終えて第三期に突入した頃、
「前みたいな優しい曲を作ってください。今のピロウズの曲は好きじゃありません」て手紙が来て。
さわお大ギレ。「Advice」という名曲(^^;を書いたって事がありましたっけ。

もしも、そのバンドの変化を受け入れることが出来ないのだったら。
簡単なことです。
バンドのファンをヤメれば良い事。音楽てそんなものでしょ?
心に響かなくなれば、お別れすればイイのです。恋と同じ。

バンドは新しいファンを獲得して、新しいライヴの形、バンドとファンの関係を築いて行けば良い事。
その辺りの更新が全くできずに(音楽的に)自滅していったバンドなんて山ほどいるんですから、コレが如何に困難な事なのかは承知のうえ。
Dichtenにもこの困難な道を歩いて欲しいと思ってます。