山麓日記帳

全ては消えゆく、雨の中の涙のように

「教育」について考える

買い物をしていたら隣町の友人にバッタリ会いました。
そのまま店内で立ち話に突入(世間の迷惑)
お互いの近況を早口に知らせ合って、
「長女子がこの春から大学生なのよ」と言うと、
「どひゃー!」と彼女(長女子が3歳の頃から知っている)
「娘さん、賢い子だったのね!?」と言われましたw

この土地に来た当時、福岡一番の文教地区と言われていた場所から引越して来たので、元々この土地に住んでいる人始め、よそから来た人たちからまで相当我が家は珍しがられた事を思い出しました。

当時はよくわかってなかったんだけど(苦笑)
「なんでわざわざ子供の教育に最高の場所からこんな進学率の低いヤンキー中心の田舎へ?」というのが、当時よく訊かれた事でした。

ワシは元々あんまり世間で言うところの、子供の教育(つまり、「習い事」とか「塾」とか「中学受験」とか「掛け算九九を誰よりも早く言えるようにしよう!」とかそーいう事)には感心が全く無いので。
「ワシはワシなりの教育をする気持ちがある(「美味しい旬のものを食べて暮らす」とか「自然に親しむ」とか「読書、音楽のある生活を送る」とか「色んな体験をさせる」とか)からココに越してきたのに」と思いつつも。
「考えなしでごめんなさい?」と笑って答えていたものでしたす。
(そんな話をやったところで理解して貰えるとは思ってない)

田舎は田舎なりに塾や教育に熱心なお母さんがたも沢山いらして、ぐーたらなワシには眩しかったですね。
「ワシには出来ねー。それで子どもが幸せになれるとも思えないー」と自分に都合のイイ理屈ともとれる考えをコネながら。

そんな調子で我家はそのまま高校三年まで一度も塾にやらず(汗)、「勉強しなさい」と口やかましく言う事も無く。
結局そのまま終わってしまった受験生生活でしたので。
今更ながら長女子本人も、「ヌルイ受験生人生だったな…」とか言ってます。

でも、多分、ウチにはこのやり方が合ってたんですよ。
早朝から夜まで外でめいっぱい勉強して。
家では一切勉強をやらない生活w(「やって下さい!」と担任から泣いて頼まれたのに…)
家ではのんびり、アニメを見たりさまぁーずを見たり。
好きな小説を読んだり絵を描いたり、体を休める事を中心にした生活でした。

それでも合否発表前後はストレス性蕁麻疹が出たんですから、どれだけ精神的に弱いんだ(ーー;