山麓日記帳

全ては消えゆく、雨の中の涙のように

日本武道館に想う・内容編

つまり、元々は神聖なるスポーツマンシップを衆人環視の中、神に捧げる供物として仕立て上げる装置として建造されたのが日本武道館だった。
というのが、今回のワシの発見でした。

東京オリンピックから45年w
遅い発見(??;

そして年を経て、スポーツマンシップの聖地は音楽の聖地にもなって来たというのが面白いですね。
多分、設計者の山田守もこういう使われ方は予想していなかったでしょうね。

でも、確かにこの「人が見守る空間」の特別さ加減にはただならぬ雰囲気があります。
スポーツに使うだけじゃモッタイナイ。
音楽の会場に使おうと最初に発案した人、鋭いですね。

ピロウズ916公演の後、日本武道館氷川きよしがやったのをテレビで見ましたが。
やっぱり、自分が行って見て、しっかりあの空間が血肉に染みたせいか?
氷川きよしがファンの声援に感動しながら泣いているのをテレビで見て、
「ああ、わかるわかる」と妙に共感できましたね(^^;

あの広い空間にいるにもかかわらず、人肌が感じられる。
観客の一人一人の表情までよく見えるというのがキモですね。
このステージに立てば多分、「肉の壁」の一人一人が、自分を支えたファンであると実感できるんだろうなと予測できます。
観客はタダの観客ではなく、その一人一人に人生があり、物語があり、その人の人生に自分も一部関わってて。
そしてその人の支えが自分の支えになっているという事を実感できるのではないでしょうか?

だからこそ。
この場所で1万人のバスターズによって歌われた「Funny Bunny」の意味も凄く理解できましたね。
その瞬間は、自分ではもう何が何やらわからず、ただ、ただ、
「君の夢が叶うのは、誰かのおかげじゃないぜ。風の強い日を選んで走ってきた」
と歌ったその時に、
「なんて綺麗な感情が今、この場所にあるんだろう。1万人もの人がこの瞬間、たった一つの思いを込めて歌っているんだ」
という思いが胸に迫ってきて、思わず涙が流れました。

だって、こんな神聖な場所で、1万人が、
ピロウズに着いてきて良かった」
ピロウズが20年も続いてここまで来てくれて良かった」
ピロウズ、ありがとう。ピロウズが私をココまで支えて連れてきてくれた。私もピロウズをこれからも支えるよ」
という本当に純粋な気持ちで歌っていたんですもの。
神に捧げるにはこれ以上美しいモノはありません。