山麓日記帳

全ては消えゆく、雨の中の涙のように

「新宿泥棒日記」を見る

あまりの暑さにダルダルしていたのですが、「どうせダルダルするんだったら、前向きにダルダルしようっと」とわけのわからない理屈により、先日夫が早朝録画していた、日本映画「新宿泥棒日記」(1969年 大島渚)を見ました。

ソファに横になって扇風機に当たりながら猛暑の中見ていると。
猫は寄ってきて腹の上に乗ってモミモミしてくるし(気持ちが良いと母猫の母乳を飲んでいた頃を思い出すらしく、オッサン猫のクセに母猫のおっぱいを飲んでいる気になってワシの腹に爪を立てて揉んできます)
暑苦しい猫を払いのけながら鑑賞。

見終わっての感想は。

「良い時代だな1960年代」
見るまで一体、どんな映画なのかさっぱり判ってなかったのですが、見始めて驚倒。
横尾忠則主演かいー!?」

今の若い人は知らないと思いますが、横尾忠則って当時、サブカルチャーの王子様(?)みたいな扱いで。
ん??今で言えばどんな感じが近いですかね?

みうらじゅん

…ちょっと違う…(??;
若くてなんだか才能がありそうで(あるかどうかなんてのは誰にも判らない。「ありそう」ってのが大事)
色んな事やらせればやってくれそうな感じと勢いが当時の大島渚の霊感を喚起したのか?
何故か主役に大抜擢されて…これって当時劇場公開されたんですよねえ?

こんな映画が劇場公開されるなんて、なんて不謹慎な時代なんでしょw

今から見れば、「ヌーベルバーグを意識した、ジャズのインプロビゼーションみたいな映画」ですよ。
もう、撮りっぱなし回しっぱなし。
脚本もあるのか無いのか?
即興で撮ったとおぼしきシーンの連続で、
「お前、思いつきでやってるだろう!?」と、もしもワシが映画会社の人間だったとしたら、恫喝してやりたい気分になります。

「会社のお金を使ってナニ遊んどんねん!?」と涙目になりそうです。
当時の映画会社の人の心痛を思うといかばかりかと心が痛みます。

娯楽映画でなく。
かといって、芸術的なわけでなく。

なんだか、当時の新宿、花園神社あたりの気が狂ったような変なエネルギーをフィルムにそのまま定着させたいと願ったのでしょうが。
悲しいかな。
唐十郎の顔芸以外と横尾忠則の生尻以外にはソレが感じられるシーンはありませんでしたね。

大島渚って案外才能が無いのね」(´・ω・`)な映画
☆=3