山麓日記帳

全ては消えゆく、雨の中の涙のように

初老女一人旅・初日その16

でもそれは「違った」んです。
これが思いの外、嬉しい驚きでw
人生の様々な労苦が伺えないバンドだと今の今まで思っていたのですが(失敬)

いつまでも年を取らず、いつまでも円熟という事を知らないままで、いつまでも子供みたいに無邪気に音と戯れて遊ぶバンドだと思っていたんですね、ワシはピロウズの事を。

でもそれは間違っていました。
今回過去曲を演奏することで、その違いはより明らかになりました。
表現力は格段に上がっています(さわおが「いくら練習しても下手すぎる」とぼやいていたにせよ)

昔の金属的で無機質な、全ての悲しみを全否定して振り払うような音はもう何処にも鳴っていません。
悲しみはその形を変えることはありませんが、全ては「終わったこと」として今の私たちの前に立ち現れて来ます。
過去の曲が新しい装いで現れること。
この軽い衝撃。

そしてそのギターの音@混沌は、まるで人体を通ってきた音みたいに有機的な響きを持って空気を震わせます。
そのビリビリとした振動は、まるで人の息吹のように妙に暖かく生々しく。
切ないメロディはいよいよ切なく、悲しみに震える表現はより純化された悲しみとして、まるで「抽出された悲しみ」のように囁きます。

「ああ、そうだ、コレだわ!」
つまりコレはある程度の人生の経験を経たモノでなければ出来ない表現ってヤツですよ。
ピロウズにはそんな日は一生来ない。
永遠に青い春を歩き続けるバンドだと思っていたのに。
さすがに、思春期の痛みは「すっかり過去のモノ」として見事に表現されていたんですね。
でもこれって「自然なこと」ですよ。

「僕の心はまだ痛いんだよー!」と泣き叫んでも、それを演奏しているのが見るからにシワシワのおっさんじゃねー。気持ち悪いだけだし。
曲と一緒にバンドも成長していたって事なんですよ。

通常のリリースツアーだけじゃ判らない「バンドの成長」がいっそう浮き彫りになったライヴで、良かったですね!
大阪まで出かけた甲斐がありましたよ!こんな新しい発見もあったし。

このツアーを最初にやったとき(2006年12月)、そのツアーTに「STARS ARE IN FULL BLOOM」と書かれていたのを見てワシは、
「過去の名曲たちが新しい表現でよみがえるんだ」とその予感に感動したモノですが、それをようやく目撃したわけです。
過去の名曲たちが、新しい息吹で輝き満開に花開く夜。