山麓日記帳

全ては消えゆく、雨の中の涙のように

初老女一人旅・初日その15

あ。いかん。
昨日はついつい、旅行とは関係のないことを思いっきり旅行記のタイトルでここの日記に書いてしまっている。すまんすまん。
オバチャン、アルツ気味だから。許してタムレ。

で。この夜のBIG CATでもさわお
「あんなに練習したのに!こんなに練習したのは初めてってぐらい練習したのに!!まだ歌詞が怪しい…自分で書いた曲なのに…歌詞を間違えやしないかと歌う前からドキドキしているオレって一体…」とか、
「あー。プレデターズは楽だった!なんでピロウズはこんなに大変なんだろう。オレ物凄く一生懸命にやっているぞ」とか。
相変わらず「一人反省会」が多かったですね。
くそ真面目な男だなあw

さて。そんな風に「今宵もイッパイイッパイ」のさわおでしたが、いやーしかし、本当にピロウズが過去曲を演奏するたびにワシが思う事なのですが、さわお、歌が上手くなった!

もう、感心しちゃう。
歌が安定したこともさることながら、ちゃんと「表現」が出来ている。
昔の一直線な歌い方もアレはアレで、曲の性格に似合っていたのですが。
近年は更に、その本家スタジオ録音バージョンの表現の更に向こう側へ行こうとする試みが見える気がして凄く興味深いです。

それは歌のみにとどまらず、演奏全体においてもそうなんですが。
今年の長崎で「ICE PICK」を聞いた時も、その繊細で美しい演奏に驚きましたが(なんせ初聴だったんで)、同時にその演奏は非常に力強かったんですね。
そこが本家スタジオ録音のCD版とは大いに違っていて印象が強かったです。

あの悲しみに満ちた曲が、力強い、確信に満ちた音で鳴らされるという不思議にアンビバレントな表現で。
最初は当惑しましたね。
でもそこに生まれた音は、その往年の少年が持っていた繊細さも美しさもちゃんと残していながら、ソレでいて同時に、その辛い時代の時間を経てきた者のみが出せる説得力と、その辛い時代は過去のモノである(現在進行形ではない)という事を感じさせる表現で。

「なるほど!地獄を見て生還した人こその説得力だなあ」と非常に感心したんですね。
まさか、ピロウズにこんな日が来るなんてねえw

ピロウズは永遠に大人にならないバンドなんだと思っていたんですよ、ワシ。
いつまでも無邪気に音と遊び戯れて、大人になったからって、丸くなったり円熟したりする事の無いバンドだと思っていました。
でも(明日に続く)