山麓日記帳

全ては消えゆく、雨の中の涙のように

第一期から第三期の予告編

つまり、世間的にはピロウズというバンドには、
第一期「ビートバンド時代」、
第二期「お洒落ジャズバンド時代」を経て、
今の第三期「シンプルなロックバンド時代」があるという事になっていますよね。
でもワシはこの「WHITE INCARNATION」(1992年)を聴いて思いました。

第一期なんてトンでもない。
この作品はちゃんと第二期の出現を予感させているし、しかも後々の90年代日本語ロックの金字塔&第三期開幕のアルバム「Please Mr.Lostman」(1997年)の出現をもちゃんと予言しているじゃないか!
__とね。

もしかしたら、第一期第二期なんて時代の区分けは意味なんか無くて。
実はピロウズは最初から常にピロウズであったのではないか?と思いました。
ベーシストが違うとか、音楽性が違うとか、その区分けの理由付けは色々とありましょうが。

ワシの結論は、
ピロウズは最初からピロウズであった」としたいですね。

音楽性の変化なんて実は些細なことで。
本質は全くと言って良いほど変わってないんですよ。
ヴォーカルスタイル(発声の方法)とかギターの音などは多少変わりましたが、でもこの「WHITE INCARNATION」を聴く限り感じ取れるのは、「その不変で絶対的な個性」だけです。

メランコリックで懐疑的。繊細でいながら同時に骨太という一筋縄ではいかない、この山中さわおという人の個性。
これは揺るぎないですね。それこそインディーズ時代の「パントマイム」の頃から。

この「WHITE INCARNATION」を「隠れた名作」として推す人は時たまネットでも見かけますが、しかし、その論調が、
「この時代のような音楽をまたやってくれないだろうか?」
というのはいかがなモノか。

ワシが思うに、全然変わってないですよ本質は。
勿論、歌詞世界はもう少し図太くなったし、自分の内面を包み隠さず言い表すようになってきましたが、本質は全くと言って良いほど変わってないです。

その証拠が、第三期の幕開けと言われる「Please Mr.Lostman」とこの「WHITE INCARNATION」の相似性です。
ワシはこの二作品を「まるで双子のよう」と昨日書きましたが、そう思いませんか?
確かに、この二作品において、その絶望の原因はそれぞれ中と外にあり非常に対照的ではありますが、ともに山中さわお、絶望のどん底で作ったアルバムという共通点があります。

この話、続けちゃう?