山麓日記帳

全ては消えゆく、雨の中の涙のように

大陸から帰って来た人たち

タモさんの弔辞に泣かされました(;つД`)
心のこもった一つ一つの言葉。まさに金言。魂の言葉。
飾らない嘘の無い真実の言葉。
本当に美しい弔辞で激しく心を揺さぶられました。
このお二人の、肉親以上の性別を超えた、深い愛情に友情に、うう、泣ける泣ける<感情失禁気味

一体年の離れたこの二人に、どんな宿縁があったのだろうか?と考えてしまうのですが。
思い返してみれば、赤塚不二夫満州の生まれ。
確か、タモさんのおじいさまは元・満鉄職員だった筈(記憶違いがあったらごめんなさい。でも確か、父上も元・満鉄職員だったと記憶している。牛乳屋を始めたのは、福岡に帰って来てからだったような?<全てうろ覚えm(_ _)m)

そして確か、ご生母さまも、独身時代、女だてらに身一つ、トランク一丁で大陸に渡った経験もある女性だった筈。
今までの人生、時々「大陸帰りの人」ってのに、ワシの年齢だと出会った事があるんですがね。
(今はもう皆さんご高齢なので、若い人では「大陸帰りの人になんか出会った事が無い」とおっしゃる方が多いと思うのですが)
コレは__あのー、非常に表現が難しいのですが、「物凄くユニークな方が多い」ですね>大陸帰り。

さすが戦前に「日本は狭いぜ!」と日本を飛び出されて大陸で活躍なさっていた方々は違うというかなんなのか?
それともその「豪快さんぶり」は戦後、命がけで大陸から引き揚げて来た時に培われたのものなのか?どうなのか??

そこの所ははっきりしませんが、「日本人っぽくない人が多かった」というのが、ワシ、非常に印象に残っております。
「植民地帰りという種族」が居ると気がついたのは、実はワシは大人になってからでした。

たまたまロアルド・ダールの本(第二次世界大戦直前の英国領アフリカを舞台にした自伝的な作品)を読んでいたら、その「イギリス国内のイギリス人とは明らかに違う、(ちょっとアタマがおかしいのではないか?と思えるくらい奇矯な行動をやってのける)植民地のイギリス人達」の事が生き生きと描かれている部分がありまして、そこで、
「あ!なるほど!!」と理解した訳であります。

「そうか、ワシが出会った、魅力的な人たちはそういう事であったのか!」と。
つまり、赤塚先生もタモさんも「植民地帰り」の範疇に居る人たちであった訳です。

弔辞全文はコチラ
http://www.sanspo.com/geino/news/080807/gnj0808071158018-n1.htm