山麓日記帳

全ては消えゆく、雨の中の涙のように

「表現」には温まった身体が不可欠

というワケで、今更ながら今村昌平の素晴らしさに舌を巻いたワシであったが、思い返してみれば、ワシ、今村監督作品への評価って高いんだったわ。
世間的な評価がイマイチな「果てしなき欲望」(1958)にも☆=4なんかつけているし(実際面白かったんだけどね)

晩年は「性の寓話」みたいな作品が多かったような気がしますが(気のせい?)
この「黒い雨」はその辺りのバランスが、非常に良く取れてて良かったですねー。
田中好子が演じるヒロインが、池の鯉を見て興奮のあまり取り乱す所とか、なかなか今村節でよろしゅうございました。
「人間って、この期に及んでも…」という含みがある、なんともおかしくも悲しいシーンで。
「いやはや、人生の達人が作る映画って恐ろしい」と改めて感心しました。

で、昨日の日記にも書いていた「カットされたカラーフィルム部分」ですが。
ワシは「出来れば見たくない派」かもしれません。
あのモノクロームの世界で、強い日差しの中、色を探して生きているような人々の姿が却って鮮明に目に焼き付いている気がして。
その印象を大事にしたい気分なんですよ、今は。

そもそも最初にこの「カラーフィルムによる削除されたシーンがある」と聞いたのは、NHKのドキュメンタリーで、この「黒い雨」の助監督だった三池崇史のインタビューでだったかしら?
三池監督がそのシーンの事を絶賛していて、「削除してしまったのは、本当に勿体無い」みたいな口調で強く語っていたのがとても印象的でしたので、その当時は、
「ふーむ、そのシーンだけでも見てみたいものだな」(腰に手<エラソー)とか思っていたのですが。
うむ、今は見たくないかも。

その後、色々ネットを見ていたら、今村昌平が主催していた日本映画学校(旧/横浜放送映画専門学院)の話を目にしまして。
ココの卒業生と言えば、先述の三池崇史(@ワシのアイドル!)や本広克行ウッチャンナンチャンケラリーノ・サンドロヴィッチいっこく堂出川哲朗と、色々居る訳ですが。
ココでの教育方針って、主文に「自己をも含めた人間観察の場」とあるように、一貫して人間探求のカリキュラムを組んでいたんですね。知りませんでした。
だから、カリキュラムには「漫才」も取り入れられているし、授業で農作業もある?とか。
「ゴローちゃん監督もココで修行すればよかったのに」(´・ω・`)<落ちはソコか!?