山麓日記帳

全ては消えゆく、雨の中の涙のように

「ゲド戦記」を見る その1

世間であれほど「駄作だ駄作だ」言われている「ゲド戦記
「果たしてどれほどのものなのか?いつか見てみたいものよのお、出来ればタダで」とか思っていたら、ちょうどテレビ放映がありまして。
夫が録画していてくれたので、後日、子供達と一緒に見る事が出来ました。

「へーー」

まあ、いわゆる「素人さんが作った映画」で、情熱も根性も本気汁も表現力も説得力なにもかもが「足りない映画」なんですが。
唯一面白かった&興味深かったのが、
「どれほどオレが父親を憎んでいるのかその話を聞いてくれ」状態な部分でした。

少し前に、奈良で男子高校生が自分の父親を殺した事件があり、その時の証言が、
「パパを殺すしかないと思った。後悔している」だったんですよ。
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20080628-OYT1T00291.htm

この事件を知った時の違和感は、
「なんで高校生になってもパパって呼んでいるの?」って事でしたね。
それと同時に、この事態に至って迄「パパ」なんて甘えたチャンな呼び方をしているくせに、殺してしまう(ナイフ&斧)という極端な行動をとる彼のアンバランスさに対して興味がわきました。

そしてその後、秋葉原の通り魔殺傷事件が起きて。
しかもそれがよりによって、世間が薄ら笑いを浮かべながら脳内お花畑で、「エコエコエコエコ」言うて、その実「エコは儲かる」なんて思いを抱きながらせっせと仕掛けを作っている日で。
「明日の地球温暖化より、今日の壊れた男の方が大問題」(実際人命に直接関わる)と、冷や水を浴びせるような事態に迄至った訳です。

「あ、なるほど、これらの事件の予兆は既に、この映画からあったんだ」と妙に納得出来たんです、ワシ。

__出ましたね、電波w
つまり、この「僕は悪くないもん」という日本男子に近年よく見受けられる、「言い訳で自分の周りを囲っている状態」の事です。

「オレは良い車に乗って、良い暮らしがしたかっただけ」
「オレはオレの好きなように生きたいのに、ソレが出来ない」
「ソレが出来ないのは全部親のせい」
「親がオレを歪めたから、オレはその仕返しに世間を歪めてやる」
「親を殺すか、自分を殺すか、なんならオレが親から受けた仕打ちを何の罪も無い人に負わせて、そんな理不尽な事も人生では起きるのだと言う事を知らしめてやりたい」
彼らからはそんな叫びが聞こえてくる気がします。