山麓日記帳

全ては消えゆく、雨の中の涙のように

ボイスの近況

あ、そうだ。
昨日の日記に書き忘れていたけれど、実はワシは、この「田舎に疎開(!!)生活」ってのは、「長くて6年ぐらいじゃね?」などとタカをくくっていたんだ。
「まあ、ローンを10年ぐらいで全額払い終わって、マンション買って都心に戻って、この家は手入れが重荷になったら売ればいいし」くらいに軽く考えていたんだが。
まさか、その疎開生活が「今年で14年目なんてねー」と、思わず昨日は遠い目になった次第。

その間にワシは子供をもう一人産んじゃうし、車の運転にも随分慣れた(割りとロングドライヴも平気なタイプ)
「絶対に自分は犬を飼わない」とか思っていたのに、飼っちゃった。

___だってさー、犬ってなんとなく。
「犬」ってだけで、可哀想な、残念な、不憫な存在じゃない?
「ああ、キミは犬だったね。残念でした。ニンゲンに生まれ変わって出直してオイデ」みたいな感じ?とでも言えば、この感じ、判って貰えるだろうか?
まあ、そんな風に、「実際に自分に愛犬という存在が無い頃」は漠然と思っていたんですね。

ところが、なんとまぁ。
コレ(愛犬という存在)がサイコー。実際に飼ってみると全然違いますな。
この感覚は「実際に自分が子供を持った後の感覚が、実は自分が子供を産む前に想像していた感覚とはまっきり違っていた」というのと、物凄くよく似ている(そこも面白い)

「きっと可愛いのはコイヌ時代だけで、あとは言うこと聞かない悪い犬なのが憎らしくなってきて、放置したりするんだろうな」
とか、勝手に「自分の愛犬のその後」を妄想したりしていたのですが。

コレも全然違いましたな。
年を取れば取るほどカワイイ!!
ボイス、サイコー!!!至高の犬!!!!<親バカ

犬が犬であることの素晴らしさをワシはこの10年間、ボイスに教えられっぱなしですよ。
明日の事を思い煩わず、「今」をのびのびと生きて。
無私の愛情を、自分を取り巻く者達に向かって無尽蔵に降り注ぎ。

「いや、ホントに大した男だぜ、ボイちゃん」
と、いつも思わされます。
今年でついに11歳だが、まだまだ元気。
ベンチには「よっこいしょ」とよじ登るようになり、往年の「ニジンスキーもかくや!」という「空中停止ジャンプ」は見られなくなりましたが、まだまだ意気軒昂であります(イノシシも追いたがるし)
家族に愛されて、相変わらず大事にされております。