山麓日記帳

全ては消えゆく、雨の中の涙のように

「LOSTMAN GO TO YESTERDAY」レビュー その4

つまり、ワシがかように断言する理由は、
「第二期でピロウズが評価されてしまっていたら、今のピロウズはありえなかった筈だ!」という根拠の無い確信によるものです。
第二期ピロウズ最大の欠点は、「自分たちにリミッターをつけている部分」だとワシは感じます。

今(第三期以降)のピロウズって「限界なんてこんなもんじゃない」って言葉通りじゃないですか?
良い音楽の為ならスタイルにはとらわれない。
自分たちがやりたい音楽だけを言いたい言葉で、どんどん表現しているって感じでしょ?
「やりたい事をやる」「歌いたいことを歌う」「行きたい場所へ行く」
多分、こんな姿勢は若くして、第二期みたいな音楽性の時に世間に認められていたら、出てこなかったものだと思うのです。

第二期ピロウズも確かに素晴らしい、良い音楽を沢山作りました。
でもソレは、「自分たちが音楽家としてやっている仕事は水準が高いのだ!という事を、世間から認めて貰いたいよー」という欲?があるような気がするのです。

でも確かに素晴らしいんですよ。
ジャンゴ・ラインハルトを思わせるような華麗なキラキラとした音のギターに乗る美しいメロディの楽曲。
メランコリックで優しい歌詞世界。

「屋上に上って」なんて、未だに曲に引き込まれると涙が滲んじゃうもん(オバサンなのに)
モノクロームラヴァース」の時代を一周回り込んだみたいな洒落のめし方。
「公園?黄昏のワルツ?」の絵本をそのまま歌に閉じこめたような世界。
音源化はされていない「Night Sugar Waltz」の繊細な美しさ。
でもソレは素晴らしいけど、でも、これではまだ「普通のバンド」ですよ?

ワシはピロウズの事を常々、「空前絶後のバンド」と言い表しているのですが、その根拠はこのレビューの流れで最終的に言及することになるかもしれないので、お楽しみに♪

つまり、その第二期で「普通の(というにはあまりにも良質だったが)バンド」であったピロウズが、「空前絶後」で「世界最強ライヴバンド」になるためには、もっと衝撃的な転換期が必要なワケですね。

明日はその転換期となった曲「tiny boat」の話を書きます。
去年も「tiny boat」のトラック違いの三曲を俎上に上げてレビューした記憶があるんだが。
なんとこの「LOSTMAN GO TO YESTERDAY」ではリマスタリングされて、曲の印象がまたしても変わっているんですよね。
「コレはワシが書かねばならない曲だな」(腰に手)
と、言うわけで、明日のココロだー!