山麓日記帳

全ては消えゆく、雨の中の涙のように

夏フェステレビ観戦 その7

グラストンベリー その3

シャリー・バッシーは今年御年71歳だそうです(凄)
コレではまるで、シンディ・ローパーすら「小娘」だわね。

しかもこのシャーリー・バッシーが、歌いながら華麗なステップで踊るんですよ。
そして、MCの中でも「ARCTIC MONKEYSがワタシの歌を歌ってくれて?♪」と超ご機嫌。
歌の中でも、「生まれて初めてグラストンベリーにやってきて、沢山のロックンローラー達に会っちゃったわー♪」と即興で歌詞を替えて歌って見せるんですね。
それもなかなかステキでした。
お客さんも大喜び。
ロックのフェスだというのに、国民的大歌手のパフォーマンスにも最大のリスペクトと愛情を惜しみなく送るんですよ。
彼女の背後にいるビッグバンドのメンバーも大喜び。勿論、シャーリー・バッシーご本人も大喜び。

ワシ、最近思うんですがね。
音楽って純粋に「喜び」であって欲しいって。
年を取って、年々その思いは強くなるですよ。

このグラストンベリーの魅力は、「イギリスローカル」という色(つまりイギリスで特にウケが良い出演者が揃っているという意味)が濃いという部分にもありますが(このグラストンベリーで初めて見るバンドも結構居たのよ。「ARCADE FIRE」とか<うーん、一言で言えば、「白人がやっている渋さ知らズ」みたいな感じのバンド?)
最大の魅力は、出演者も観客も、同時に「純粋に音楽を楽しんでいる場である」というこの一言に尽きる気がします。

お客さんがそれぞれ、自分の好きな形で音楽を楽しんでいる。
好き勝手に楽しんでいる。
それでいて、演奏者への賞賛を惜しまない。
演奏者もそのお客さんのエネルギーを受け取って、更に演奏に熱がこもる。

なんというか、成熟した個人主義と、なにか人が作り出すモノ(それは「芸術」なんて言葉に置き換えるとあっという間に陳腐になっちゃうけど)への限りないリスペクト。
その二つが美しくちゃんと同時に存在しえている。
そこに感動しましたね。

「音楽」は「ファンが育てる」ものかもしれません。
支持がなければ、愛がなければ音楽は枯れてしまう。
基本、音楽って人が作り出すモノだからこそ、そんな流動的な、生き物のようなものでしょう?

イギリスという国が、何故音楽を輸出産業の根幹の一つとしてやってこられたのかが理解できる「夏フェス」でしたね。

「銀婚式の旅行はグラストンベリーにしたいね」と夫と話し合ったくらいでした。