山麓日記帳

全ては消えゆく、雨の中の涙のように

ゴキブリ男達、かく語りき

(「爆音アトモス」の続き)
その「終わって行く自分」と言うのがですね、エルレ細美君が語るには、
「自分が目指す頂上があって、『あー、あそこ(頂上)に行きたい!』って思いながら必死で登って行って、その途中でバタッって死ぬのが、そこに行き着ける前に死んじゃうのが、理想なんじゃないかなって思うんですよ。だってもしも辿り着いちゃったら、辿り着けるまでの自分の姿を思い出す事しか出来ない気がして」
と言う事のようでした。

まあ、それはとても青年らしい潔癖さだとも言えるし、その青い、固い自意識をワシなんかは、「はうぅ?、若いねえ」と、懐かしい思いで見てしまうんですが。
まあ、ソレが「違うよ」って言うのは、自分が年齢を重ねれば、ちゃんと自分で気がつく事なんで、
「そうかそうか、君は心が綺麗な潔癖な青年だねえ」とさらっと右から左へと流してしまう所なんですが。

山中さわおは違いましたね。

この人のこーいう部分には、ファンになって何年経っても未だに驚かされます。
この「ゴキブリのコスプレ姿」でありながら、その細美君に向かってさわおはこんな事を言うんですよ↓

「俺の場合はね、他の人の場合は知らないけれど、俺の場合はね、一つの頂上を目指して『ああ、やっと辿り着いた!』と思ったら、また別の、次の頂上が現れるんだよ。自分が頂上と思って高い位置に来て見たら、もっと更に『上』があるのね。『壁を越えた!』と思っても、その向こうにまた壁があるんだよ。それを乗り越えながら来ているって感じかな」

コレは何度も彼の歌に表されたシーンですね。
それでも自分は歩き続ける。ちょっと一休みしても、また次の頂上を目指して、自分の目指す自分の姿に追いつけないままで歩き続ける。

「ふーむ、やっぱりな」と思って画面を見ていたら、更にワシを驚かすような発言が山中さわの口から出るのでした。

「昔は自分の中にも潔癖に音楽と向き合っている部分があって、良い作品が作れなくなったらもう音楽はやめてしまおうとか思ってた事もあったけれど、今はもう、いつまでも真鍋君やシンイチロウ君と大きな音を出して、音で遊んでいたいってソレだけなんだよね。もう新曲も書けなくなって、昔の曲しか演奏出来なくなったとしても、お客さんが入らなくなったとしても、『それでもステージに立ちたいか?』って訊かれたら、『立ちたい!』んだよ」

本当にこの人には敵わない。