山麓日記帳

全ては消えゆく、雨の中の涙のように

今日の俎上=「時かけ」=SF(sO Fkn')映画

くそ、怒りが収まらない。
たった、今、アニメ版「時をかける少女」を観たんだけど、どーにもこーにも。
腹が立って仕方ねえ!(叫)

このアニメ映画、なんともIQが低い出来で、観ているコッチの頭がオカシクなりそうだった。
歯を食いしばって我慢して最後までなんとか観たが(最後は早送りの刑)
「え?なんで、そうなるの??」「どーしてこんな事を??」と噺の展開に、目を白黒させてしまった。

筒井康隆の原作にクソを塗りたくる映画化であった。
でも筒井康隆も老後になって、こんな何十年も前に書いた本が映画化されて、後々お金を儲けてくれるんだから、結構な事って事なんだろう。

___って言うか、そうとでも思わないとヤットレン内容(改悪)だわ。

なんか、物凄い女性蔑視(身体は女子高校生、頭脳は小学校低学年男児並み!<お、男の理想ってコレか!?)&監督の男女共学への熱烈な(歪んだ)憧れを感じて、「辟易」としてしまった。
正直な話し。

「ああ、キモイキモイ。悪いもん見ちゃったなー」ヽ(`Д´)ノウワァァン!! である。
日本の男のトコトンまでのダメさ加減を知る為のテキストとして使うのが最適かと存じます。
って言うか、この映画なんでこんなに評判がいいの?
みんな、そんなに頭が悪いの?
それとも「恋愛なんか絵に描いた餅で、一度も食べた事なんかないから、知らない」のかも知れないなorz

なんか、寂しい気分になっちゃったなーワシ。

実際、生身の女子高校生が家に居る家庭としては、映画中の「妄想女子高生」あるいは「記号としての女子高生」が気持ち悪くて仕方なかった。
それに加えて、男子高校生まで「現実感がナイ」というか、「記号」なのね。

「この監督、高校時代、友達がいなかったんだろうなー」って事だけは良く判った。
「優等生」という記号。
「チョイ不良」という記号。
「オッパイの大きなボーイッシュなノータリン」という記号。

記号、記号、記号。
記号に埋め尽くされた映画。魂なんかドコにもありません。

父ちゃんの腹は出てて、母ちゃんは絶対セックスレス
妹は援助交際やってて、伯母さんは不倫でもう三回も堕胎手術を経験しました。
そんな「裏時をかける少女」=正式タイトル「時をかけた少女」を書いてみたくなる、そんな映画でした。