山麓日記帳

全ては消えゆく、雨の中の涙のように

「野良猫ロック」のシリーズを見ていて気がついた事↓

第1作「女番長 野良猫ロック」(1970年)とシリーズ最終作である第5作「野良猫ロック 暴走集団」(1971年12月)の間には、時間的には一年弱しか経過してないのに、あまりにもその作風が変化しすぎだろう?と言いたくなるくらいに「全然別物の映画」となっている事。

勿論、監督は違っているんだけど、全シリーズ通して梶芽衣子は出ているし、藤竜也も出ている。
他、当時の人気者(ザ・モップスとか)も出ていて歌っているシーンもあるし。
バイクでバリバリなシーンもあるし、フーテン(死語)も出てくるのに、あまりにもその映画が捉えている時代性?が違いすぎる。
多分、日本という国そのものに、1970-1971年の間に、文化的な断層があったって事なんでしょうなあ。

今、ちょっと、思い出してみても、1970年は「大阪万博」があった年。
日本人は全員、老いも若きも「チューリップハット」を被って、ピースサインを出していた気がする。
当時は確か、「昭和元禄」とか言われてて、変な文化が花盛りだった。
テレビではゴールデンハーフが「わっかい娘が、うっふん♪お色気ありそで、うっふん♪」と歌っていた。

___末世だな、今思い返してみると(--;

テレビでは「よど号ハイジャック事件」が起きて、「え?北朝鮮ってそんなに良い国なの?地上の楽園ってホントに??」と不思議な気がしたり、「そうか、大学生になるとみんな明日のジョーになりたくなるんだ(ロクなもんじゃねえな)」と思ったりしたものだった。

つまり、日本人全員が戦後の貧しさから完全に脱却して、華やかさと豊かさを享受していたのに、その一方ではチッソ水俣病(患者を当時の社長がヤクザを使って襲わせたり)とか赤軍派とか。
なんとなく「終末感」を思わせるイヤーな感じの出来事も起きていた年だった。

そうそう、11月には三島由紀夫の割腹自殺も起きたっけ(当時小学生であったワシにもビックリするような出来事だった)

1971年はミュンヘンオリンピックで、「ここでテロが起きたりして」とか言っていたら、本当に起きちゃったり(当時からガラドリエルだったのか?)
なんとなーく不穏な空気が満ちていた時代でした。

でも、それが決定的になるのは実は翌年。
1972年2月。
浅間山荘事件」が起きるんですよ。

あ、話しがとッ散らかったまんま、文字数が尽きた。
明日へ続く。