山麓日記帳

全ては消えゆく、雨の中の涙のように

鈴木博文伝説<タイトルに偽り有り

あんまり「死者に鞭打つのは良くないな」と思いつつ、今日の日記は柔らかめで行く事にします。

えー、だから何が言いたいのか?と言うと、
「オジイサンたち、やれば出来るじゃん?」て事<エラソー
もう普段はリハーサルもしないし、練習もしない。
そんな「普段の様子」をドキュメンタリで見てしまったワシは、
「もしかしたら、音楽家なのにみなさん、音楽が嫌いなのかな?」とついつい穿った見方をしてしまっていたのです(多分、正解)

でも自分の見栄、面子??のためにはちゃんと練習するんだなあって(^^;
そこがすごく意外でしたね。
お金を払って遠路はるばる「憧れのムーンライダーズのライヴをついに目撃するのだ!」と勇んで集まってきてくれたお客さん達にはあんな仕打ちをして平気なくせにねえ。

「ずる賢いってーか、単純に業界のヒト?」という印象でした(正直なキモチ)

そしてこのスタジオライヴを見てて気がついたのは、
ムーンライダーズ=鈴木博文」であったという、今更ながらの事実です。

どうしてもフロントマンでヴォーカルの鈴木慶一(博文実兄)に目が行きますし、作詞作曲も鈴木慶一の手によるものが「ムーンライダーズの代表曲」という気がしていたのですが。
昔から薄々感じていた、「ムーンライダーズ=虚弱児童の音楽」という印象。
コレは紛れも無く、鈴木博文のパーソナリティに由来するものなんですね。

ムーンライダーズが持つ、「無責任で子供っぽい男の悪さ」「業界人のずる賢さ」みたいな部分ってまさにコレはムーンライダーズのメンバー全員のパーソナリティが交じり合って出来たものですが、その根本にある、「妙なイノセンスさ」を持った「夏休みに養護学校の鍛練訓練の一環で海辺に逗留した一ヶ月」みたいな雰囲気(もうナニガナンダカ妄想全開_子供だけの社会っつーか、大人不在っつーか、モラトリアム?っつーか??)ってまさに鈴木博文その人そのもの!ではありませんか?
そんな事感じているのワシだけですか?そーですか。

つまり「最後の晩餐」以降、ムーンライダーズが「変わった」とワシが感じたのは多分、この鈴木博文が受け持っていた部分が縮小されたゆえではないか?と気がついたのです>スタジオライヴ見ててね。

もっとうまく立ち回るために。
生き残るために。
「戦略」としてのムーンライダーズへとシフトチェンジするために。

あ、終わらんかった。続くのか?