山麓日記帳

全ては消えゆく、雨の中の涙のように

今日の日記はまた一段と電波

「LITTLE BUSTERS」を最初に聴いた時の印象は、
「どこが最強ロックアルバム(と主張していた人が居たので、素直なワシはその意見をそのまま信じていた)やねん!?めっちゃメランコリックやんかー?」でした。
確かに2曲目「another morining」とかは力強いイントロで、「おぉ、ロストマンで一旦沈んだ太陽が、再び生まれ変わって朝日となって昇ってきた!」という気持ちになりますが、全体を通して聴いてみると、なんともシミジミ悲しい気分になっちゃう曲の印象が強くて…ですね。

勿論、名曲として名高い「hybrid rainbow」や「one life」「blues drive monster」「like a love song」「Patricia」「little busters」なども収録されてて、多分、ピロウズ好きなら納得の一枚!なんでしょうが。
実は、このアルバムで、ワシが個人的に一番引っ掛かったのは「that house」という曲でした。

何故か聴いていると、高校?大学時代にものすごくはまってしまって、殆ど全作品読み倒した夏目漱石の後期作品、「門」の印象とすごく重なるんですよ。
「あれ?なんでこの曲聴いていると夏目漱石を読んだ時の印象が脳内で再現されるんだろう?」と不思議な気持ちがするだけで、その「根拠」が何ナノか?が自分ではシカと判らなかったんです。

「脳の回路が変なのか?(最近アルツ気味だし)」とテキトーに自分の考えをあしらって、あまり突き詰めて考えるような事はナカッタのですが、この笙野頼子の最新作、「一、二、三、死、今日を生きよう!」を読んだら、
「あ、そうか」と目から鱗がハラリと落ちました。
「なんだ、そういう事か」と全ての孔に糸が通り、全体の道筋が「カッキリ」と見えたんですね、老眼気味の目に。

「テーマは孤独か!?」
笙野頼子言う所の「明治政府」
夏目漱石が見つめた「近代人として背負わざるを得ない孤独」
山中さわおが歌う「濡れたひまわりと滲む夕景」

笙野頼子が猫のために千葉に買った一戸建て。
崖の下の暗い家で、世間に背を向けて暮らす、宗助と御米(「門」)
風雨に侵食されて、いつかは消えてなくなる丘の上で暮らしたいと歌う山中さわお

全てがより合わさって、「あ、そうか!」と膝を叩くワシ。
社会の中の個人。歴史と対峙する個人。
「個」を持った近代人が逃れられない孤独という運命(病)が実はこれらを繋ぐテーマだったんだと気づかされたんですよ。
「そうかー」
一人納得しましたね。