山麓日記帳

全ては消えゆく、雨の中の涙のように

CS放送で拾い物

「さーて、そろそろ風呂に入るか」としていたら、二階のリビングでテレビを観ていた夫が慌てた様子で、
「早くっ、早くっ!!二階に来て!ってか来い!早くー!!」とご注進してきた。
「え?何?今から、風呂入るんだけど」と面倒くさそうにしていたら、
「アンタの好きなっ、あのオカッパ頭の頃の『ふれぢー』がっ、今、テレビにっ!!」と夫が必死で叫んでいる。

「え?ナ、ナニーーーイ!?」(思わず立ち上がる)

慌てて二階に上がると、なんと「ふれぢー」が「ホワイトクィーン」を歌っているではないかっ!?
「うおぉ、レア映像!!」思わず、ワシ、感動。

いや「ふれぢー」ってのはフレディ・マーキュリー(Queen)の事なんですけどね。
我が家では親も子供も「ふれぢー」と彼の事を呼んでいます。

ちょっと前に長女の学校で美術の授業中に、「有名人のポートレイト」を先生が指し示し、
「これが誰か判る人?」と色々生徒に訊いてきたらしいが、その中にフレディ・マーキュリーがいて、長女思わず、
「あ、ふれぢー」と呟いて、先生に「え?知っているの??」と驚かれたらしい。
はっはっは、母の教育のたまものですよorz

いやはや、そんな「ふれぢー」ですが、件の映像は1976年ロンドンはハマースミス・オデオン劇場でのライヴ映像でした。
「うーん、ギリギリこの時代までオッケー!」との判決を下しました。
実は、ワシはクィーンなら「二枚目が最高作」という「初期クィーン原理主義者」です。
えぇ、心が狭いのです。

まだハードロックだった頃のクィーンが好物なんですね。
丁度、このテレビで放映されていたのは「シェアー・ハート・アタック」(三枚目)の頃のクィーンで、一番、ライヴアクトが若々しくて、充実していた頃ですね。
まだ「ロックミュージックが怪物化して巨大ビジネス化する前」の牧歌的な時代で、まだクィーンにも音楽の喜びや楽しさがあった時代。

なんとも演奏している様子も、一部、時代を感じさせるギターソロやドラムソロがお約束で入るものの、本当に楽しそうで、観てて清々しい気分になりましたよ。
後年、キーを下げて歌っていたような曲もこの頃はまだレコードと同じキーで歌ってたりして、
「いやあ、ライヴバンドとしても実力もあったのねえ」とシミジミしました。
「この頃は世界中でも、日本でしか彼ら人気が無くてねえ」と懐かしく思い出しました。