山麓日記帳

全ては消えゆく、雨の中の涙のように

ロック教室「エレカシ」編 2

「はい、では練習してみましょう。『宮本浩次はオウィエ、山中さわおはアゥイエ』
プリーズリピートアフタミー」
「ぎゃはは!!」<長女爆笑
でもこの二者って似ている部分があるとワシは勝手に思っているのね。
それは勿論、「浮世絵コレクターである」って部分もだけど(ヒロジは「広重」
さわおは「北英」)、「泣きとROCKの同居をなしえた日本語ロックの頂点」って部分とか。
男のくせにこの二人よく泣くし<ホットケ
日本人の感性に、実は「涙」というのが重要な位置を占めていて、それを決して
自己憐憫やウェットではない「感動の熱い涙」として表現する所がエライですな。

ただ、やはり宮本浩次の方がいささかなりとも、インテリなので(ああ見えても<失礼)
詩に普遍性がある。
もっと自分の体験や感情を、相対的なものに変換して、提示して見せる事が出来るという
「作詞家」としての才能がある。
勿論、メロディメイカーとしての才能もあるんだけど、如実にこの二人の才能のタイプの
違いというのが出ているのが、この「作詞」という部分だと感じているので>ワシ
「自分」というフィルターを通して、個人的な思いをより普遍的なモノへと言い替える事が出来る。
それでいて人の心に沁み渡るようなモノがちゃんと書ける。
コレって凄い事なんですよ。
「BABY自転車」を初めて聴いた時の衝撃は忘れられないです。
この人生を世間を全て受け入れて、この社会の中に飛び込んでいこうという「強い覚悟」
に感動させられたです。
自分の足で立って生きてゆくという覚悟を持っている人の心には、おそらく、等しく
響き渡るであろう名曲。

一方、山中さわおの場合は、「実は詩はそんなに重要じゃない」とご本人は何度も
繰り返しインタビュー等で語っておられますが、この人ほど自分の事を正直に歌にする
人も珍しいですよ。
もう一体、彼にナニがあったのかは詩を見れば一目瞭然。
「全部、自分の事。もしくはメンバーの事」なんですから。
「全身私小説」みたいなタイプです。
ところがその内容が「極私的」であればあるほど、何故か物凄くリスナーの心の奥底に近づくんですね。
不思議です。
コレは大変希有な才能だとワシは思ってます。
地図も持たず、考える事もせず、ただがむしゃらにやっていっているというやみくもさが、
実にROCKですよ。

なんか、この話しまだ続きそう?