山麓日記帳

全ては消えゆく、雨の中の涙のように

「フリクリ」が悪い!のか?と言ってみる

というケチ女独特の流儀でもって生きているんですが、ところが、時々この用心深さがが悪い方へと転がる事もあるんですね。
それの最もたる事例がこの、「ピロウズ事件」です。
もっと早い時期に出会ってしかるべきものが、全然出会えなかった。

ついでにもう一つ、残念な事があるのですが、ワシ、すごい早い時期に「フリクリ」(2000年)
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B00005F5VD
サウンドトラックとしてピロウズの1996?2000年の曲が数十曲使用されている)も観てたんですよ!
ダンナが当時、このアニメをかなり気に入ってて、リアルタイムでこのビデオがお店に出るが否や、興奮のあまり鼻の穴を広げて観賞していたので、ワシも横っちょから「ふーん」と観てたんですよ。

でも当時、ワシはコレをアニメ作品として真面目に観てしまったので、その内容のあまりの気味の悪さ(エロいどらえも●が家にやって来た少年と影で援交している?女子中学生の話し)に、ワシの神経が10分と持たなくて、5分一寸でギブアップしてしまい、
「ぐあ!もうダメダ!!」と投げ出してしまって、それから二度と観なかったんですね。
これも失敗でした。
我慢してちゃんと最後まで観ていれば、ピロウズの素晴らしいエンディングテーマソングが聴けたのに!
そうすれば2000年に出会えていたの_| ̄|○

まあ、後々、「シマッタ!」と気がついて、改めて「フリクリ」歯を食いしばって一応、全編観ましたけどね。
アレは真面目に観ちゃダメです。イカンです。
あくまで、映像と音で遊んでいる「アニメPV」として観賞する態度が正しいです。
主役はピロウズです(断言)
それは勿論、エンディングテーマに本来頼まれた形とは全然違う、あんな馬鹿馬鹿しいカッコイイ楽曲を提供しておいて、
結果、鶴巻監督http://ja.wikipedia.org/wiki%E9%B6%B4%E5%B7%BB%E5%92%8C%E5%93%89
の気持ちにまで影響を与えてしまい、「フリクリ」の物語としての終わり方まで変えさせてしまったというそのエピソードからも伺えるでしょう。

鶴巻監督がかねてからピロウズの曲を聴いてて、喚起された思春期一歩手前の感情。
それをアニメという形に閉じこめて、ピロウズの曲に乗せて思うが侭に遊び回った_というのがこの作品の本当の所なんではないか?と思うのですよ。

そしてこのアニメは思いもかけない運命をもたらします(続く)<続くのか!?