山麓日記帳

全ては消えゆく、雨の中の涙のように

suicide diving

子供を産んで良かったなと思う事の一つは、自分の産んだ子供が自分と趣味やものの考え方の傾向が似るという部分である。
最近は長女も15才になり、色んな話ができるようになったので、面白い。

二人で本(夢枕獏とか「アリューシャン黙示録」)の話をしたり、音楽や映画の話題で盛り上がったり。
タマに意見が一致しない事もあるが(夕べの意見が一致しなかった話題は、ワシの主張する「サウンド・オブ・ミュージック」は神の視点から人間界を見た宗教映画である_であった<「ソレは妄想」と一蹴された。クソー)、議論しててもカナリ面白い。
勿論それは長女が理詰めで議論するのが好きな性格で_実はワシもそうなんだが_二人で話していると色々明らかになる事もあって、会話がスパークするのだ。
かなり知的に面白い。

で、そんな中、長女が珍しく、「私、コレの意味がよく判らないの」とワシに質問してきた。
それは、ピロウズの「suicide diving」という曲なのだが、長女が言うには、
「この歌が、タイトル(投身自殺!ヒー)と歌詞(青年が自分と同じ顔をした裸足の少年を見つけ、夜明けの瞬間を滑走路で待ちかまえ、この曖昧な空を剥がして風を焦がして飛んで見せる_と決意するいう内容)と曲(非常に前向きな美メロ)がマッチしてない気がする」と言うのだ。

「あぁ、それなら判るよ」とワシからの解説↓
この曲が入っている「Please, Mr.Lostman」(1996年発表)は本当に日本語ロックの名盤で、全体を貫くメランコリーと激情の絶妙のバランスがたまらないアルバムなのだが、コレは第二期から第三期へと移行するピロウズのバンドとしての分水嶺ともなった、重要なアルバムでもある。

今まで築き上げてきた一切のスタイルを捨て去り、音楽性の一新を計った画期的な内容であるが、しかし、この事(スタイルの急激な路線変更)による全てを失う覚悟(契約とかファンとか?)を同時に持っていた<ココが素晴らしいのよ。

「そんなもの(変われる自分?新しい自分?)は幻だよ」と人に言われても自分のやりたい事をやりたい。
人からは(飛び降り)自殺行為に見える事でも、自分では新しく生まれ変わるつもりでいて、朝日が昇るのを今か今かと見守ってて、夜明けの瞬間と同時にこの空を焦がして飛びたつ気がもう、満々!_そういうつもりなんではないかな?

「あ、そうか!スッキリー!!」と長女。