山麓日記帳

全ては消えゆく、雨の中の涙のように

Live at Apollo2001 ROXY MUSIC その3

いやあ、ロンドンのハマースミス・アポロ劇場までの道のりは遠いなあ(遠い目)
ロキシー・ミュージックの、30年以上にわたるのキャリアを一日の日記(千文字限定)で語ろうとするから、無理が出てくるんだな。
じゃあ、コレは「ロキシー・ミュージックその栄光と挫折の物語」として、連載長編コラムにしてはどうだろう?
日本人でドンだけの人が興味を持って読みに来るのかちょっと統計をとってみたい。

あ、ダメダ!
万が一、今野雄二が来たら困る<バカ
ワシの30年以上にわたる(一方的に)不倶戴天の敵!!(爆笑)
日本でロキシーが正当な評価を得られなかったのは、ひとえにこのバカ男のせいであると、ワシはこの30年以上信じているのですからね。
なんなら昔の同じ恨みを持つロックファンで集まって、集団訴訟をおこしたいくらいだ。

誰かあの人に、日本語の指導をしてあげてください…っていうか、最近見ないと思わない?
ちょっと検索してみたら↓
なんだ、まだ生きてたのね(ガッカリ)ツマンナイ(・ε・)(´・ω・`)ショボーン

とまあ、そんな話はおいておいて(と、例のポーズ以下略)
1982年、ロキシー・ミュージックは名作「AVALON」を発表。それに伴って大規模なワールドツアーを敢行。
実はコレは、ブライアン・フェリーの新婚旅行をも兼ねたものであったらしい(苦笑)のですが、ワシは幸いにも行けたのですねえ、このツアー。
勿論、福岡でですが。

コンサートの内容もよかったし(バイオリンのエディ・ジョブソンはもう在籍していなかったが)、ワシの大好きなフィル・マンザネラのラテンなギターソロが堪能できた。
ブライアン・フェリーの「どじょうすくい」な踊りは衝撃でしたが(苦笑)
ちょうど、就職前で「あぁ、もう自分はロックを聴く生活はできないのか?。コレで最後か?」(当時は「大人になったらロックは卒業するもの」という暗黙の了解があったので)という感じの砂を噛むような思いがありましたね。
コレは本当に強烈に覚えています。

まあ、当時は他に夢中になるバンドもコレと言ってイナカッタですし、「このまま終わってゆくんだな」と自分の一つの季節を見送るような気持ちで、コンサートの帰り道をトボトボと俯いて歩いた記憶がありますよ。

そして、ロキシー・ミュージックはこのツアー以降、無期限活動停止状態に入るのです。