山麓日記帳

全ては消えゆく、雨の中の涙のように

タイニー・ボート 三番勝負 第四回

「売れなかった」という理由ですっかり「鬼門の曲」になってしまったこの
「タイニー・ボート」であるが、その後結局、どのアルバムにも収録される事が無く、
廃盤になったシングルでしかその音源に触れられないという「幻の名曲」になってしまった。

つまり、作った本人が、
「自分の気持ちに不純なもの(売れたいという下心)が混ざってしまった為に、
不本意な事(曲の改変)をやってしまった」という自責の念に激しく駆られた結果、
「もっと自分のやりたい事を、やりたいように思うままにしかもう絶対ヤラネ!」
と頑固に意固地に、
「他人の言うことなんかもう1ミリだって聞かない!」と決心してしまったからである。

その後、ピロウズはこの「売りたかった曲が売れなかった」せいで、
「タイニー・ボート」と同時期に作られていた「ストレンジ・カメレオン」を
「これからの進むべき方向性」として世に提示する事になる。

結果、この事によってピロウズは「第三期」と呼ばれる季節を迎える事になる。
よりシンプルで力強いバンドサウンド、心に食い込んでくる内省的な歌詞が持ち味の、
「ダサカッコイイバンド」(多分、コッチが「素」だったんだと思う)として。
まるで別なバンドとして生まれ変わってしまうのだ。
それは勿論、物凄い賭けであるし、
「物語に描かれているような、眩しい川のほとり」とか幸せそうに歌ってたのが突然、
「汚れた川を汚れた僕と泳ぐ、君はとっても綺麗だから」とか悲鳴気味に歌っちゃうのだ。

物語に描かれているよな美しい川が、次の瞬間には汚れ切って疲弊した地獄の世界へと変貌してしまう。
しかも「僕」は汚れてて溺れかけているし壊れかけているし。
コレでは当時のファンはさぞかしビックリだったろう。
それまでは小首傾げて「貴女は特別で?」とか言ってたのに、突然、ライブでは目をひんむいて
「アウイエ!」って叫んだりするようになっちゃったんだから(笑)

しかし、その「作り込んだ世界」ではない、「剥き出しのありのままの姿」を提示する事によって
世間の評価を得られ、数字もそれに伴って来るという現象が起きる。
「バカ売れはしてないけど、日本一過小評価されている偉大なバンド」として。
おかげでクビにもならず、解散もせず、シングル「タイニー・ボート」から8年後、
ピロウズは15周年という節目を迎える事になった。
ココでもう一回、過去と向き合う作業が行われた。