「売れなかった」という理由ですっかり「鬼門の曲」になってしまったこの
「タイニー・ボート」であるが、その後結局、どのアルバムにも収録される事が無く、
廃盤になったシングルでしかその音源に触れられないという「幻の名曲」になってしまった。
つまり、作った本人が、
「自分の気持ちに不純なもの(売れたいという下心)が混ざってしまった為に、
不本意な事(曲の改変)をやってしまった」という自責の念に激しく駆られた結果、
「もっと自分のやりたい事を、やりたいように思うままにしかもう絶対ヤラネ!」
と頑固に意固地に、
「他人の言うことなんかもう1ミリだって聞かない!」と決心してしまったからである。
その後、ピロウズはこの「売りたかった曲が売れなかった」せいで、
「タイニー・ボート」と同時期に作られていた「ストレンジ・カメレオン」を
「これからの進むべき方向性」として世に提示する事になる。
結果、この事によってピロウズは「第三期」と呼ばれる季節を迎える事になる。
よりシンプルで力強いバンドサウンド、心に食い込んでくる内省的な歌詞が持ち味の、
「ダサカッコイイバンド」(多分、コッチが「素」だったんだと思う)として。
まるで別なバンドとして生まれ変わってしまうのだ。
それは勿論、物凄い賭けであるし、
「物語に描かれているような、眩しい川のほとり」とか幸せそうに歌ってたのが突然、
「汚れた川を汚れた僕と泳ぐ、君はとっても綺麗だから」とか悲鳴気味に歌っちゃうのだ。
物語に描かれているよな美しい川が、次の瞬間には汚れ切って疲弊した地獄の世界へと変貌してしまう。
しかも「僕」は汚れてて溺れかけているし壊れかけているし。
コレでは当時のファンはさぞかしビックリだったろう。
それまでは小首傾げて「貴女は特別で?」とか言ってたのに、突然、ライブでは目をひんむいて
「アウイエ!」って叫んだりするようになっちゃったんだから(笑)
しかし、その「作り込んだ世界」ではない、「剥き出しのありのままの姿」を提示する事によって
世間の評価を得られ、数字もそれに伴って来るという現象が起きる。
「バカ売れはしてないけど、日本一過小評価されている偉大なバンド」として。
おかげでクビにもならず、解散もせず、シングル「タイニー・ボート」から8年後、
ピロウズは15周年という節目を迎える事になった。
ココでもう一回、過去と向き合う作業が行われた。