山麓日記帳

全ては消えゆく、雨の中の涙のように

「ヴェルヴェット・ゴールドマイン」

つまり、この「ジギー・スターダスト」を見てて気がついたのは、「ヴェルヴェット・ゴールドマイン」の時代考証の正確さと、それら全体への深い共感と理解の上でのアプローチである。
この「ヴェルヴェット・ゴールドマイン」という映画、実はワシは大好きでして。

監督自身は本当は、ボウイをモデルにした「実録物」にしたかったようだが、それを嫌ったボウイ側からの「楽曲一切の使用を禁ずる」というつれない返事で急遽、劇中の音楽はロキシー・ミュージックに差し替えられたという変ないわく付きの映画である。
しかし、「ロック物の劇場用娯楽文芸音楽映画としては、破格に良くできた作品」である。

なんたって、監督がイイヤね。
トッド・ヘインズ。もう大好き。
若いのに(^^;レトロなモノへの造詣が深い(この後に撮った「エデンより彼方」でもそれは証明された)
あの時代。あの空気。をよく再現している。

世界中の大きな潮流に乗り損ねた沢山の子供たち(ベビーブーム以降の世代)が、一体、何を欲したのか?がよく判る。
当時はなんだか熱狂的に騒いでいただけだったが、こうやって30年以上も経ってみるとその全体像が良く見えるのだ。

よくこの世代は「時代のみなしご」と表現され、まさに「根を持たない」「群れない」世代なので、「新人類」とか「シラケ世代」とも呼ばれる。
その世代が欲しがったものは一体、何だったのか?
子供たちのロールモデルか、時代の教祖か。
いや、もっと何かパーソナルなものであったような気がするのだ。
もっと家族のように身近で、恋人のように寄り添えるもの。

女のように着飾って、男のように支配する。まさに両性具有の王様。
それに対する憧れと、徹底的に打ちのめされたいというマゾヒスティックなまでの渇望を見事に描いて見せた映画だった>「ヴェルヴェット?」

音楽も凄くて、この映画の為にREMのメンバーが中心となって、ブリティッシュロックの若い精鋭達が集結。
この映画中でも演奏シーンを見せてくれている。
(確か、スエードのギタリストとかも参加していた筈_当時のグラムな衣装を着けて)

で、なんでこの「ヴェルヴェット?」を思い出したのかというと、なんと「ジギー・スターダスト」で「普通に喋っているアンジー(ボウイの元妻)」の姿を初めて見たんだが、まんま、「ヴェルヴェット?」でトニ・コレットが演じる「スターの妻」だったのね。
「スゴイ!」と感嘆。