山麓日記帳

全ては消えゆく、雨の中の涙のように

雌伏10年以上への序章

さてその映画「テラコッタ・ウォリア」の主演を受けたばっかりにチャン・イーモウはエライ目に遭っちゃう。
なんせ経験の無いカンフーをやらされるわ、火にあぶられるわ(そのせいで大やけどを負ってしまう)
あげく交通渋滞に巻き込まれて右往左往するシーンを撮影した際には、横っ腹をビンテージカーにぶつけられてあえなくろっ骨骨折。

まさに体を張った熱演で、後々劇場でこの作品を観たワシは「やるなチャン・イーモウ!」と大きなお腹で(長女妊娠中)大層感心したのだった。

そしてこの「テラコッタ・ウォリア」で武術指導&監督をしたトニー・チウ・シントン。この人が後々出てくるので覚えておいてね。
このトニー・チウ・シントンは「チャイニーズ・ゴーストストーリー」も監督している人なんだが、「テラコッタ・ウォリア」には「チャイニーズ・ゴーストストーリー」の生みの親でもある(ワシが大々大好きな香港の映画監督)ツイ・ハークもいっちょカミしていて、ワシの大好物な要素が満載の映画であることに間違いなかったのよ!

しかもこの「テラコッタ・ウォリア」=制作日数3年、製作費30億円。中国本土でロケを敢行!使ったエキストラは2万人!!
どうよ、話を聞くだけでも期待で胸がパンパンよ(当時妊娠中で腹もパンパンだったが)

そして作る側(香港サイド)も当時野心バンバンだったらしく、「さあ、カンヌに出品だー!」となったところで、突如、中国政府から横やりが入ってそのまま出品は許されず(やはり制作に中国政府がいっちょカミしていたのが敗因だな)、なぜかお蔵入りになっちゃったのね。
この話だけ聞いたら、「不思議な運命に翻弄された珍作」ってところかしら?(…というかこの珍作を「底抜け超大作」と分類してしまうには出来が良過ぎる)

結果的に賞をとれたのは1990年マドリッド国際映画祭審査員特別賞。
スペインのサイエンスフィクション映画展で「最優秀映画技巧賞」、フランスの奇情動作映画展(どんな映画展なんだろう)で「最人気映画賞」、香港の第10回映画祭で「最優秀配楽賞」などだった。

日本でも劇場公開したものの観客は殆ど入らず。実際にワシが劇場に足を運んだ時は他の観客って2人しかいなかったし(苦笑)
レンタル店でもなかなか置いてある店舗は珍しい。そんなカワイソウな日の当たらない名作になってしまったのだった。